● 地理
陸地面積約960万km2。ロシア、カナダに次いで、世界で3番目に広い国土を有する。世界人口の約5分の1を占めるが、その大部分は沿海都市部に集中しており、この偏りから生じる国内地域間の経済格差が恒常的な課題となっている。気候は南から赤道地帯、熱帯、亜熱帯、暖温帯、温帯、寒温帯という6つの気候帯に大別される。2月末~3月初旬にかけて華北地域で舞う黄砂は海を越え、日本海沿岸地域まで届くことも。降水量は南東部で多く、北西部に向かうにつれしだいに少なくなり、各地の年間平均降水量の差もやはり大きい。
広大な中国領土を便宜上、分類して呼ぶ場合がある(分類方法はさまざま)。黄河、長江を基準にして分類する場合は、華北、華中、華南、東北、西北、西南の6地域分類。また、さらに広域に東部、中部、西部と大きく3分類する場合もある。現行の行政区画は、基本的に省、県、郷という3段階制。現在は23省、5自治区、4直轄市、2特別行政区で構成される。また、中国は56の民族から成る統一的な多民族国家。漢民族が約92%。漢民族以外の55民族は少数民族と呼ばれる。
● 歴史
1990年代の鄧小平が提唱した「社会主義」「市場経済」という一国二制度は中国経済を大きく飛躍させ、外資の大量導入に成功している。2001年にWTOに正式加盟、中国市場は一気に世界舞台へと躍り出た。開放後、日中の貿易額は約11億ドルから約892億ドルへ急増。日本にとって今ではアメリカに次ぐ第2の貿易相手国である(2014年財務省統計)。また国交回復時にはわずか891人だった中国への渡航者も、今では280万人を超え(日本政府観光局JNTO統計)、さまざまな面で日中関係が重要視されてきている。
2008年には胡錦濤国家主席が来日し、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明が発表された。「教科書問題」や「靖国参拝問題」などの戦争責任をめぐって日中関係が緊迫する場面がありつつも、日中は「戦略的互恵関係」のもと経済関係を発展させてきた。
しかし、2012年、日中国交正常化40周年という記念すべき年に、尖閣諸島問題が再燃したため日中関係は急激に冷え込んでしまった。中国と日本の貿易は盛んで経済的には密接に結びついてはいるが、政治的な関係は、摩擦が拡大している。
● 政治
中国は1949年10月の建国以来、一貫して中国共産党の一党独裁が続いている。90年代には「改革開放」「経済開放」が声高に叫ばれたが、民主化が急速に進んでいるとはいえない。
党中央の管理掌握は個人単位に及び、「档案(だんあん)」と呼ばれる個人情報ファイル(出身、階級、「過去の過ち」などが記録されている)が存在する。一般的に外資系を含め企業内には党委員会が設置される。大学などの教育機関、研究所も例外ではない。教育は特に国家のコントロール下に置かれるので、党中央の影響力がいっそう強いといえる。
中国では一単位(政府、部隊、企業などの職場を指す)内に経営側組織と党組織が存在する、特殊な二重構造を成す。経済開放後に経営と政治の分離が進み、党の影響力は弱くなっているといわれるが、構造上は、党が主導権を握ることができるようになっている。
● 経済・産業
1949年の建国から1972年に開放路線に転向するまでは、政府の指令性計画経済下のソ連に倣った重工業優先政策であった。大躍進や文化大革命といった政治運動が経済発展を大きく阻んだため、建国後30年にわたり、国民の疲弊は長期化し、先進国との経済面や技術面での格差も拡大した。
政府は1972年に一気に積極的な国交回復に着手。アメリカ、日本との国交回復もこの年である。これを期に政府は、他国から大型先進プラントを導入し、同時に高度技術を導入することで経済の方向を組み立て直す策に出た。
1978年第11回三中全会にて鄧小平が改革開放路線を発表したことで、具体的な経済開放と外資開放が実現。深圳、珠海など4経済特別区を指定し、1984年にはさらに上海、大連など14沿岸都市を次々に開放する。外資優遇策を講じ、輸出産業を積極的に育成した。以降90年代には貿易黒字に転換するまでに成長する。
しかし、1989年の天安門事件の影響で経済はいったん落ち込む。この経済状況を懸念した鄧小平は中国南部を視察し、市場経済問題に関する重要な談話を次々に発表(1992年「南巡講和」)、経済に活力が戻り始める。以降は辺境地域や内陸などの開放が進められたほか、保税区、経済技術開発区、ハイテク産業開発区が設置され、新段階の対外開放の枠組みが形成される。これまでの国有企業に対しても、会社制、株式制を導入、市場競争主体へと転換し始めた。2001年にはWTO(世界貿易機関)加盟を実現。国際レベルの市場化、国際化、法制化が急務となっている。
また改革開放とともに工業化が進み、今や中国は世界の工場として注目されている。一方で食糧に関しては輸出国から輸入国に転じた。現在は中国への外資直接投資が緩和されることを背景に、通信、ビジネスサービス、観光といった第3次産業に期待がかかっている。
このように中国が経済大国として浮上する中でも、台湾問題や共産党の一党独裁、エネルギー危機、環境問題など、抱えている課題は今なお大きい。
● 民族性
「一衣帯水(一筋の帯のような水路によって隔てられているほど近い関係)」とはいいながら、日本と中国の国民性、思考はまったく異なる。中国は、社会主義国家という名目上、思想、教育、労働、言論面などを画一的に管理してきた。しかし、より柔軟な社会主義国家を目指し、1978年に提唱された「社会主義現代化」を基に、試行錯誤を繰り返してきた。現在では「社会主義とは、主要な生産手段、交通・運輸手段、金融機関などを公共および集団が所有し、労働に応じて『分配』を受けるシステムであり、経営形態は多様であり得る。よって貧富の差の発生は避け難い」と拡大解釈がされている。
現在、資本主義経済圏以上の格差が出ているのは、このためである。中国人は本音と建前が明確だと感じるのは、こういった経済政策からも読み取れる。