NAFL11巻 よくある質問
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該当ページ | 質問 | 回答 |
p.17 | 七つの活用形がどこからどこまでをさすのか、以下のような理解でよいでしょうか? 辞書形 全体 買う マス形 ~(ます) 買い テ形 全体 買って タ形 全体 買った ナイ形 ~(ない) 買わ バ形 全体 買えば ウ・ヨウ形 全体 買おう |
お示し頂いたものであっています。 テキストp.19にあるように、マス形に「~ます」が含まれないのはマス形が使われる表現や文型に 「ます」を含まないものが多くあるためです。 ナイ形も同じように、「~なければなりません」「~なくてもいいです」などの表現に使われますので、「ない」の部分まで「活用形」に含めてしまうと穴埋めがうまくいかなくなってしまいます。 そのため、ナイ形と言ったときには「~ない」の前の部分を指すことになります。 |
p.18 |
ルで終わる動詞は、すべてⅡグループということですが、「帰る、走る、謝る、送る、泊まる、困る」は、ナイ形にすると、「帰らない、走らない、謝らない、送らない、泊まらない、困らない」となり、「~aナイ」となり、Ⅰグループ(五段動詞)ではないのでしょうか? |
ご質問であげてくださった動詞はおっしゃる通り1グループ(五段動詞)です。 動詞のグループの判別方法はテキスト11 p.25(14)に記載されていますが、 これによると「る」で終わっている動詞は、さらに以下の二つに分けられます。 a.「る」の前がイ段かエ段以外なら1グループ。 b.「る」の前がイ段かエ段だと、1グループか2グループか判別不能。 b.に当てはまる動詞については、p.25のタスク2に記載がありますので、併せてご参照ください。 最後に、なぜこのような例外が出てきてしまうのでしょうか。 それは日本語母語話者なら、ナイ形を作ればすぐに5段動詞(1グループ)であることが分かりますが、活用ができない学習者には、最初は形で見分けられる方法で教えるため、このような例外も出てきてしまうのです 。 |
p.23、26、27 | テ形やタ形を作る際に使用する「連用形の音便形」について質問です。 26ページの「連用形の音便形に」という説明がありますが、音便形の選択ルールの説明がありません。23ページのテ形や27ページのタ形の〈タスク4〉から、音便のルールは次の通りかと推察しましたが、正しいでしょうか? -Ⅰグループのみ音便形が必要で、辞書形の最後の文字によって音便が変わる -辞書形が「く」と「ぐ」の場合は、イ音便となる -辞書形が「う」、「つ」、「る」の場合は、促音便となる -辞書形が「む」、「ぶ」、「ぬ」の場合は、撥音便となる -辞書形が「す」の場合は、音便化しない 音便化をもっと易しく説明できるルールはないでしょうか?あればご教示ください。 |
ご推察のように、動詞の音便が生じるのはⅠグループだけで、Ⅱグループ、Ⅲグループにはありません。 また、Ⅰグループの動詞に関し、 -辞書形の最後の文字によって音便が変わる -辞書形が「く」と「ぐ」の場合は、イ音便となる -辞書形が「う」、「つ」、「る」の場合は、促音便となる -辞書形が「む」、「ぶ」、「ぬ」の場合は、撥音便となる -辞書形が「す」の場合は、音便化しない というご推察もその通りです。 しかし音便化をもっと易しく説明するルールは残念ながらありません。日本語教育の現場でも、テ形の活用を覚えることは学習者にとって難関の一つになるわけですが、テ形の活用を覚えるために色々な替え歌を使って覚えさせることが多いです。 例えば、「サンタが街にやってくる」の替え歌で以下のようなものがあります。 (他にも「ロンドン橋」や「むすんでひらいて」など色々なバージョンがあります。)この歌詞の中には、Ⅰグループの活用ルールと、Ⅲグループの動詞「くる」「する」のテ形が含まれています。 ♪「う」「つ」「る」って 「む」「ぶ」「ぬ」んで 「く」いて 「ぐ」いで 「す」して 「くる」きて 「する」して このように、歌などによってまずはルールを覚え、その後は個々の動詞を使っていくうちに活用を覚えていくというのが、一般的なテ形の学習方法かと思います。 学習者がルールの勉強で挫折しないように、教師側も楽しく学べる工夫をしていくとよいでしょう。 |
p.25 | 〈タスク2〉の(2)についての見分け方について質問です。 3つの特徴を使って見分けると書いてありましたが、日本語を母語としない人は、そもそも3つの形が作れないのですから、この方法では無理ではないでしょうか? |
おっしゃるとおり、日本語を母語としない人は、解説にある方法ではできません。 ただ、「-る」で終わる動詞でⅠグループに属するものは,他にも「ある・降る・触る・移る」などいろいろあります。 「る」の前がイ段かエ段の場合,ⅠグループかⅡグループかの判別は決まった規則がないため,学習者は「例外」を一つずつ覚えていくしかありません。 しかし、教師は瞬時に識別しなければなりません。 解説に述べられている内容は、教師向けに効率的に識別できる方法であると捉えていただければと思います。 また、教科書によって使われている動詞が異なりますので、今後日本語を指導されるときにご自分が使用されるテキストに出てくる動詞を調べて,どちらのグループなのかを確認することも授業準備として必要でしょう。 |
p.35 | (7)a? リさんは仕事が嫌です。 「この文が不自然」という記述がありますが、なぜ不自然なんですか? 第三者の感情でも、すでに知っていることを断定して表現することはあると思います。しかし、それがもともと間違った使い方なんでしょうか? |
「嫌だ」というナ形容詞は、感情形容詞と呼ばれる形容詞で、「主語が今まさに感じている感情や感覚」を表します。(7)の例文では、リさんという第3者の「「仕事が嫌だ」という感情」は、この文の書き手には基本的にはわかりません。わかったとしたらそれは、リさんが見せる素振りであったり、実際にリさんが「仕事が嫌だ」と言っていたという事実から判断したものでしょう。そのため、普通は「リさんは仕事を嫌がっています。」と「~がる」という表現を使い、「主語がそのような感情であるようなそぶりをしている」ことを表したり、「リさんは仕事が嫌だそうです。」のように伝聞の表現を使って表現するわけです。 しかし、p.35後半で指摘されているように、感情形容詞は「必ず一人称主語と使われる」というほど強い制限があるものではありません。話し手と聞き手の間に感情に言及してよいほどの親密な関係が成り立っているときには、3人称主語であっても感情形容詞を使用することができます。(8)(9)の例文で示されているように、母親と赤ちゃん、または幼児という関係性がそのよい例でしょう。 一方、「リさんは仕事が嫌です。」という文は仮にこの文の書き手とリさんが親密であったとしても、リさんという仕事をしている一大人が感じている「嫌だ」という心的状況を断定するような言い方はあまりしないのではないかと思います。それはやはり「仕事が嫌だ」というリさんの感情はリさんの素振りや発言からしか判断できないことだからです。 しかし、例えば物語などで「リさんは仕事が嫌です」などとその人物の設定として示す際などにはこのような表現も可能でしょう。これは、小説や物語の中では誰の心的状況も作者は知っているものとして自由に描写することができるからです。 以上、「リさんは仕事が嫌です。」という文はある特定の状況や条件の下では使用可能な言い方ではありますが、「第3者の感情はその人の素振りや発言からしか判断できない」という理由から、やはりこの文には「リさんは仕事を嫌がっています。」のように「~がる」をつけるのが通常の使い方でしょう。 |
p.42 | (1)の漢語ですが、学習者は「する」をつけて動名詞になるかならないかをどのように見分けたらいいのでしょうか? 生徒にそれをどのように教えたらいいのでしょうか? |
まず、(1)の漢語を「~する」をつけて動名詞になるかならないかという分類は、学習者がすることはありません。 学習者には、「名詞する」という動詞を、「名詞」と「する」と分けた構造では教えず、「名詞する(例:勉強する)」という一つ動詞として教えることが通常です。 また、p.43以降で述べられているように、「名詞する」という動詞は、学習者にとっては便利な表現で、生産性の高い表現です。 そのため学習が進むと、「睡眠する」という誤用もでてきてしまいますので、注意が必要です。 このような誤用が出てきたときに、どう対応したらいいのかという準備のための、分類と分析がp.42-44に述べられているとお考え下さい。 Aグループの語は、「動名詞」または「動作名詞」というように、「動き」「動作」の意味を伴う名詞であることが重要です。 Bグループの語を見ると、「口紅」「食器」のような「物」を表す語や「健康」や「勤勉」といった「状態」を表す語であることに特徴があります。 「健康」や「勤勉」は「健康な(人)」「勤勉な(学生)」といったように、な形容詞としても分類できます。 このような語については、学習者も「健康する」という誤用もほとんどでてきません。 しかし、「遠足」「睡眠」「初診」のように、動作の意味が伴う漢語は「遠足する」と、動作動詞として使ってしまう誤用がよくみられるのです。 学習者によっては、「「なぜ旅行する」はいいのに、「遠足する」はだめなのか。」という疑問が生まれてくるものですが、 漢語の語源などから詳しく説明し混乱させてしまうことよりも、日本語教師としては、「遠足する」「睡眠する」ではなく「遠足に行く」「睡眠をとる」という表現を覚えてもらうことのほうが、学習者の日本語の運用力を高めるために役立つ大切な説明になります。 以上のように、誤りの原因をこのようなタスクから予め理解しておき、学習者の質問や誤用に対して適切な説明ができるようにすることが重要でしょう。 |
p.90 | 一時的な描写と恒常的な状態の描写の意味は理解しましたが、実力診断テストの(16)の問題を間違えてしまいました。わかりやすい説明をお願いします。 | 実力診断テスト〔16〕では、それぞれ選択肢の文末にある述語が、「恒常的な状態の描写」も表すことができるかどうか、ということを問題にしています。A~Dの文で、「先週の時点でどうだったか」と考えれば、いずれも「過去の一時点に関する描写」になります。 しかし、Bの「安かったです」は、渋谷の店全般の印象を語っているとも取ることができます。 例えば「どの店も(銀座と比べると)とても安いです」とすれば、「恒常的な状態の描写」と考えられ、ル形でも問題はありません。 Dも同様で、先週、その場で食べたてんぷらだけを言う場合は「おいしかったです」となりますが、「てんぷら(という食べ物)はとてもおいしいです」とすればやはり「恒常的な状態の描写」と考えられます。 これに対し、Cの「涼しかったです」という、「涼しかった」という印象は、先週の天気のことを述べており、「過去の一時点に関する描写」になります。 したがって、「恒常的な状態の描写」とはなりませんので、正答はCになります。 |
p.90、91 | 90ページ(15)の問題に関する91ページ上部枠内の解答について質問です。 --------------------- (16) 道路はとてもすいていた。 →タ形でないとおかしい。 (19) 朝が早かったので、とても眠かった。 →タ形でないとおかしい。 ---------------------- (16)については(15)の文章で「日曜の朝だった」というのがあって「日曜の朝」であれば、恒常的にすいている、とも考えられるのではと思いました。(19)については「朝が早い」というのであれば、恒常的に眠い、とも考えられるのではと思いました。なのでこの2つの場合、ル形でもあまり違和感はないように感じたのですが、この感じ方はどこかおかしいでしょうか? |
ご指摘のように、 「日曜の朝だったので、道路はとてもすいていた」「朝が早かったので、とても眠かった。」 という文に関し、 「日曜の朝であればいつも」「朝が早いときはいつも」と考えれば「恒常的な状態の描写」ということでル形を使ってもいいように思えますね。 もし「日曜の朝は、道路はとてもすいている」「朝が早い日はとても眠い」のように、「日曜の朝」「朝が早い日」という条件下で「恒常的にある状態になる」と表す文であったならば、ル形を使うことは可能でしょう。 しかし、この二つの文はどちらも、「日曜の朝だったので」「朝が早かったので」と理由を表す従属節部分がタ形で表されています。 これは、「(その日は)日曜の朝だったから」「(その日は)朝が早かったから」と、「過去の一時点」に照準が合わされていることを意味します。 そのため、主節で表される「道路はとてもすいていた」「とても眠かった」という描写も「過去の一時点でそのような状態であった」ことを表すことになるため、タ形を使うことになります。 実際、この文を「日曜の朝だったので、道路はとてもすいている。」とすると、ドライブしていたのは過去であるのに、 「今、ドライブをしていて道路」が「すいている」という、今の状態を描写しているように聞こえます。 また、「朝が早かったので、とても眠い。」とするのも、ドライブをしていたその時の話をしているのに、文章を書いている「今、眠い」という状態であるように聞こえ、時制がおかしいと感じるかと思います。 それはこの文章の中で「すいている」「眠い」という状態がドライブをしていた時の「過去の一時的な状態の描写」であることを示しています。 もう一度(15)の文章が「おとといのドライブ」という「過去の出来事」を書いていることを念頭に置き、下線部の時制を考えてみるとよいでしょう。 |
p.95 | 〈タスク21〉の「変化状態の継続」が、よく理解できません。 (e)はカレンダーがかかっているのは、かかっている状態を表現していると思いましたので、形容詞的用法と考えました。 例文にあった、曲がっている、や、離れている、と同じタイプかと思いますが、これらとどう違うのですか? |
〈タスク21〉で取り上げられている「ている」とはアスペクトを表す文法表現であるわけですが、アスペクトとはその動作(作用)が今、どの局面にあるのかを表す文法的手段です。つまり、アスペクトは、ある動作(作用)が ①開始前なのか、 ②その動作をしている最中なのか、 ③終了したところなのか、 ④終了した後の状態か、などといった動作(作用)の局面を切り取るわけです。 この観点から考えてみると、まず「動作の継続」という用法は、「②その動作をしている最中である」 という局面を切り取る用法です。〈タスク21〉の(b)「大きな鳥が飛んでいるよ」、(d)「着替えているところなので、ちょっと待ってください」、(f)「シャワーを浴びているとき、友だちから電話がかかってきました。」という文においては、今「鳥が飛んでいる/着替えている/シャワーを浴びている」という動作の最中であることを表しているわけですね。 一方、「変化状態の継続」とは、ある動作が④終了した後の状態を示す用法です。 例えば(c)「足下に小銭が落ちていますよ」の文は、「小銭が落ちる」という作用が起きたことにより、その作用が終了した後「小銭が足下に落ちている」状態が継続していることを表しています。 このように、「動作の継続」「変化状態の継続」という用法は「動詞の動きがどの局面(段階)にあるのか」を示しています。 しかし、ご質問の「(道が)曲がっている」という表現や(a)「私のアパートは駅からとても離れています」といった表現はどうでしょう。 ここで使われた「曲がっている」「離れている」という表現は「今その動作の最中である」とか「動作が終了した後の状態である」といった動作の局面を表しているとは考えづらいです。 「曲がる」という動作(作用)、「離れる」という動作(作用)を誰か(何か)がし、その変化の状態の結果として「曲がっている」「離れている」という状態である」とは捉えづらいからです。むしろ、この「~ている」形は動詞ではありますが、 形容詞と同じように「道」や「アパートと駅との距離」の様子・状態を表していると言えます。 そのことから、この用法は「形容詞的用法」と呼ばれているわけです。 このように考えると「(e)電話のそばにカレンダーがかかっています。」という文は確かに「カレンダーがかかっている様子・状態」を表していることは確かですが、ただかかっている様子・状態を表すだけでなく、誰かが「カレンダーをかける」という動作をし、「カレンダーがかかった」という作用が終了した後、「カレンダーがかかっている」状態が継続している、 という「動作の局面を切り取ったものである」と捉えることができるでしょう。 そのため、「形容詞的用法」ではなく「変化状態の継続」を表したものであるといえるわけです。 「動作の継続」と「変化状態の継続(=変化結果の継続)」をすっきり見分けるコツについては、 テキスト第10巻『日本語の文法―基礎』p.92-94で紹介されていますので、ご確認ください。 |
p.97 | 〈タスク22〉の(d)は、「皿に取っておいてあげようか」と「皿に取ってあげよう」で意味が変わるので「準備」ではなく「放置」の用法ではないですか? | もう一度、テキストp.97の「準備」「放置」の用法について確認していきましょう。 まず、「準備」の用法です。 準備の「ておく」は、「将来のための準備としてあらかじめ何かを行う」「今それをすると、後々便利だから」という意味で使います。 これを踏まえ、以下(1)(2)を考えますと、 (1)リクルートスーツを買っておこうと思う。 (2)リクルートスーツを買っておきました。 (1)は「ておく」を取った「買おうと思う。」と同じ意味であり、(2)も「買いました。」と同じ意味ですね。 なぜ、これらが同じ意味になるのかというと、(1)も(2)も「就職活動のために、これから・・・」という意味が「ておく」に含意されているからなのです。 次に、「放置」の用法です。 放置の「ておく」は、いまの状態に対して「何もせずにそのまま放置しておく」という意味で使い、「ておく」を取ると意味が変わります。これを踏まえ、以下(3)(4)を考えますと、 (3)「窓を閉めましょうか」「いいえ、開けておいてください」 (4)「起こそうか?」「疲れているようだから、寝かせておこうよ」 (3)は、すでに窓は開いている状態ですから、「ておく」を取った「開けてください」と同じではありませんね。「開けてください」は窓が開いていない状態の場合に言います。 (4)も、すでに寝ているので、「ておく」を取った「寝かせようよ」とは意味が異なります。「寝かせようよ」は、まだ寝ていない場合に対して言います。 このように「放置」の場合、「ておく」を取ると全く状況が異なってしまうことがお分かりいただけると思います。 それでは、タスク22(d)を見てみましょう。 (d)「じゃあ、料理を別の皿に取っておいてあげようか」 (d)も、「ておく」を取った「取ってあげようか」も、話し手自身がリリさんのために(例えば、遅れてきてもすぐに食べられるように・みんなと同じものを食べられるように、など)皿に料理を取る、という点で意味は変わらないとみられ、「準備」の用法であると判断できます。 加えて、「準備」の用法のポイントである、「これから行う動作」を表し、かつ、「将来のための準備としてあらかじめ何かを行う」「今それをすると、後々便利だから」という点にも合致していると考えられます。 |
p.115 | 「休み」も「旅行」も名詞であるのに、「なぜ「休みがほしい」は言えて、「旅行がほしい」は言えないのでしょうか? | これには、「旅行」という名詞が実は「旅行する」という「する動詞」の一部でもあることに関係しています。「する動詞」というのは「(名詞)する」という構成になっている動詞のことですが、「旅行する」の他にも「運動する」「勉強する」などの「する動詞」はそこから「運動」「勉強」という名詞部分だけを取り出して「運動がほしい」「勉強がほしい」とは言えず、必ず「運動がしたい」「勉強がしたい」のように動作を伴う表現をしなければなりません。 また「願望の対象」が事物か動作かという点から考えてみても、「休みがほしい」と言った場合には願望の対象は「休み」という観念上ではあるものの「もの」なわけですが、「旅行」の例文の場合には、願望の対象は「旅行」そのものではなく、「旅行をする」または「旅行に行く」という動作ですから、やはり「旅行」の場合は「旅行がしたい」「旅行に行きたい」という表現になります。 |
p.118 | 「ある」は、動詞のどのグループになりますか? 15ページの表で、「ある」の 否定の現在・過去欄に*がついていますが、この説明もお願いします。 |
「ある」の動詞グループについてのご質問ですね。 「ある」の活用を見てみると ナイ形 あ「ら」ない マス形 あ「り」ます 辞書形 あ「る」 仮定形 あ「れ」ば 意向形 あ「ろ」う となり、「ら」「り」「る」「れ」「ろ」というラ行のア段からオ段全ての段にわたって活用がなされています。そのため、「ある」はラ行五段活用であり、動詞のグループは日本語教育でいうところのⅠグループとなります。 否定の現在、過去欄に*がついている理由ですが、これは本来の活用に従えば、「ある」の現在否定形は「あらない」、過去否定形は「あらなかった」となるべきであることと関係しています。もともと「あらない」という表現は存在していましたが、現代語ではこの表現は使われず、代わりに形容詞の「ない」が使われています。過去否定形でも「なかった」が使われていることから、本来の活用に沿っているわけではないが、「ある/あった」の否定形には「ない/なかった」が用いられるということで、*がついています。 |
p.138 | 「~ながら」の前に使えるのは、「動作動詞」だけとありますが、以下のような文章はどうでしょうか? ・眼鏡をかけながらあくびをした。 ・ワイシャツを着ながらテレビを見た。 「かける」「着る」はいずれも変化動詞なのではないでしょうか? |
「かける」「着る」という動詞には、「動作」という側面と「変化」という側面があることに注目しましょう。 具体的には、それぞれの動詞に「ている」を接続させたとき、動詞が持つ「動作」という側面に焦点を当てると「動作の継続」という意味になり、「変化」という側面に焦点を当てると「変化結果の継続」という意味になる、という点です。 (上記内容は、テキスト10 p.89~91に記載されていますので、適宜ご参照ください。) これらを踏まえ、例文を考えてみましょう。 「眼鏡をかけながらあくびをした。」について 「かける」という動詞の「動作」という側面に焦点を当てた場合は、今まさに眼鏡をかけると同時にあくびをする、という状況を表します。したがって、「~ながら」の「付帯状況」の用法として適切な使用であると考えられます。 一方で、「変化」という側面に焦点を当てた場合は「眼鏡を目元に装着した状態」を表すため、二つの動作が同時に行われている状況を表す「~ながら」を用いると不自然な文になります。よって、「眼鏡を目元に装着した状態」で「あくびをした」ことを表すためには、「眼鏡をかけたままあくびをした。」とする必要があります。 「ワイシャツを着ながらテレビを見た。」について 「着る」も、上と同様の考え方です。「着る」という動詞の「動作」の側面に焦点を当てると、今まさにワイシャツを着ると同時にテレビを見る、という状況を表します。したがって、「~ながら」の「付帯状況」の用法として適切な使用であると考えられます。 一方、「変化」の側面に焦点を当てると、「ワイシャツを身体に装着した状態」を表し、二つの動作が同時に行われている状況を表す「~ながら」を用いると不自然な文となります。そのため、「ワイシャツを身体に装着した状態」で「テレビを見た」ことを表すためには、「ワイシャツを着たままテレビを見た。」とする必要があります。 このように、文法解釈については状況を踏まえて考えると、一つの解釈では収まらない場合も多々あり、そのため研究の分野でも解釈が分かれることがよくあります。 ですから、本文の例文やご自身で考えた例文などから文法表現を考える際は、テキストに書かれている内容とともに実際の運用を踏まえて分析すると、より理解も深まるでしょう。 |
p.146-149 | 理由を表す「ので」と「から」ですが、「ので」は客観的な理由で、「から」は主観的な理由 という使い分けでよいでしょうか? | 「ので」「から」の使い分けについては、ご質問の中で書かれていたように、主観/客観という観点で説明することができます。 p.148 10-4でも説明されているように、「から」を使って理由を説明すると、当然の権利を主張しているようで、丁寧に話さなければならない相手には失礼に感じられます。 これは「から」が理由付けに対する話し手の気持ち・感情を表す表現であり、自分の主観を表に出す表現だからです。 一方、「ので」は状況を配慮し、理由を自分の意見として表に出したくない場合や因果関係(理由や結果)や事実関係を論理的に表す際に使用されます。つまり、「ので」はより客観的な表現ということがいえます。 「~からです」が可、「~のでです」が不可という点については、p.147 10-3(10)にあるように、「~ので。」とすれば 「ので」を使って理由を示すことができるわけですから、これは単に文法上の問題と考えてよいかと思います。 以上のように、「から」「ので」の使い分けは、主観/客観という視点で説明ができるわけですが、その他にも文体、丁寧度、意志表現という観点から説明されることが多いです。 以下にこの3つの観点からの使い分けを示します。 【文体】 「~から」→話しことばであり、論文などの書きことばで使ってはいけない。 「~ので」→基本的には話しことばであるが、書きことばに使うこともある。 【丁寧度】 「~から」→話し方によって丁寧さを欠くことがある。 「~ので」→丁寧である。「~ます/ですので」を使ってより丁寧な表現ができる。 【意志表現】 ・「~から」→後件に、いろいろな意志表現を置くことができる。 例) 〇「すぐ帰ってきますから、待っていてください」(依頼) 〇「お腹が痛いから、病院へ行こうと思います。」(意向) 〇「もう遅いから、家に帰りたい。」(願望) 〇「もう遅いから、寝なさい。」(命令) ・「~ので」→後件に、命令などのあまり強い意志表現は置くことができない。 例) 〇「すぐ帰ってきますので、待っていてください。」(依頼) 〇「お腹が痛いので、病院へ行こうと思います。」(意向) 〇「もう遅いので、家に帰りたい。」(願望) ×「もう遅いので、寝なさい。」(命令) 「から」「ので」には以上のような違いがあります。 「から」「ので」には主観/客観という違いだけでなく、文体、丁寧度、また後件に置ける意志表現という観点からも 違いがあることを押さえておきましょう。 |
p.171 | 実力診断テスト(6)ですが、動作名詞を含んでいない文を選ぶ問題で、解答がAとなっています。 B、Cは旅行する、買い物する、となり動作名詞となると考えてよろしいでしょうか? また、Dはどうでしょうか? |
動作名詞とは、「する」を付けて動詞として用いられる名詞をさします。ご指摘のようにB、Cでは「旅行」「買い物」がそれぞれ「する」をつけて「旅行する」「買い物する」となり、動詞として用いることができるので動作名詞となります。Dも、「説明」という名詞に「する」をつけると「説明する」という動詞になるために、動作名詞であるといえます。 一方、Aにある「印象」は「印象する」とは言えないので、これが動作名詞を含んでいない文ということになります。 |
p.174 | 実力診断テスト(25)について Aの「余れば」の「余れ」は、静的述語ですか?どうやって静的述語だと判断したらいいですか? Bの「取れれ」は、可能動詞なので静的述語と判断すればよいですか? テキスト88ページを見ましたが、静的述語と動的述語のことがよくわからないので詳しく教えてください。 |
静的述語と動的述語の違いですが、動的述語は主語の動作や行為を表す述語で、 静的述語は、主語の状態や性質を表す述語です。 また、動詞の種類などによって分類すると、運動動詞は動的述語、状態動詞、イ形容詞、ナ形容詞、名詞は静的述語に分類されます(p.89(12)(13))。 もし述語部分で使われた動詞などの種類がわかれば、動的述語、静的述語の見分けはつきやすいと思います。 ですが、もしわからなくても以下のように考えれば動的述語か静的述語かを判断できます。 まずAの前件「もし時間が余れば…」を見てみましょう。 「時間が余る」において「時間」が主語で、「余る」が述語です。この主語と述語はどのような関係になっているでしょうか。 「余る」は「時間」の動作や行為を表していますか。それとも「時間」の「状態や性質」を表していますか。 「余る」は「時間がそのような状態である」ということを示しています。つまり、「余る」は主語の状態を示す状態動詞であり、静的述語です。 また、B「お時間が取れれば」の「時間が取れる」という表現は、もし「時間を取る」という表現でしたら、 「誰かが時間を取る」という主語の「取る」という行為を示しますので動的述語になります。 しかし、この「時間が取れる」という表現においてはご指摘の通り、「取れる」が可能動詞になっており、「取ることができる」状態を示していますので、これは静的述語ということになります。 p.88で説明があるように、可能動詞は全て状態動詞に分類されますので、覚えておくと見分けがよりつきやすいでしょう。 |