NAFL5巻 よくある質問
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p.10 | 「ラング」と「パロール」がまだよく理解できません。詳しく教えてください。 | 人間の言葉は、常に一回ごとに異なるものになります。このような、言語の個人的な運用の側面のことを、言語学では「パロール」と呼びます。例えば、人間は、同じ音声を2度発することはありえません。例えばもし誰かが「りんご、りんご」と2度繰り返しても、語の音質や高さ、長さにおいて、必ずどこかに違いがあるはずです。人々が話したり、書いたりするときには、同じつもりであっても、言葉は一回ずつ異なるものになります。この一回ごとに現れた実際の言葉のことを、「パロール」と呼んでいるのです。 しかし、それを相互に私たちが理解できるのは、たとえ声の大きさや高さ、長さなどが人によって、あるいは一回ごとに異なっていても、背後に何か共通の要素があるからです。日本語母語話者は、日本語の音がどんなもので、文法がどんなものかを暗黙のうちに知っています。だからこそ、小さな声で「りんごっ」と言おうが、大きな声で「りーんーごー」と言おうが、母語話者は間違いなくこれが「りんご」であることが分かるのです。ここでいう「りんご」が、ちょうどラングに当たります。つまりラングとは、言語について、それを話す人々が暗黙のうちに了解した存在を指し、「日本語の文法」とか、「音の体系」などという場合は、いずれも言語におけるラングの性質を示しているといえます。ラングは抽象的な概念で、「言語体系」という言葉で言い換えられることもあります。ラングとパロールの関係は、概説書などでは、各種の法律(ラング)と、その実際の適用(パロール)にたとえられたり、楽譜(ラング)と、実際の演奏(パロール)などに例えられたりすることがあります。「ラング」は、常に「パロール」と対になって論じられる概念ですので、両者を比較しながら、対照的に理解するのが良いと思います。 |
p.17 | 「分節」と「文節」は意味が異なるのですか。 | 「文節」という概念は、学校文法の基礎となる考え方で、文を意味が分かる範囲でできるだけ小さく区切ることです。文の途中に「ネ」「サ」を入れて切ることができる単位です。例えば、 大きな(ネ)|車が(ネ)|狭い(ネ)|道を(ネ)|猛スピードで(ネ)|走り抜けた(ネ)。 このように区切ったものを文節といいます。 一方、「分節」は、文や語をある単位で分けること、という意味です。テキストで述べているように「上位の単位が語のような下位の単位で分けられる」という「仕組み」です。そういう意味では、「文節」も、「意味の分かる範囲」という単位で分けていますから「分節」に含まれるかもしれません。ただし、分節は、文を語、さらに音、形態素まで細かく分けることを含んでいます。例えば、「太郎は道を歩いていたらしい」は、 太郎|は|道|を|歩い|て|い|た|らしい と分節することができます。 |
p.18-20 | 「1-9 体系」ですが、この項目全体を通して何を言おうとしたいのか理解が殆ど及びませんでした。どういう意味合いなのでしょうか。また、この体系という考え方が日本語教育においてどう関係してくるのかのイメージがわきませんでしたので教えてください。 次に、同じ項目のなかで、以下の各項を個別にご教示ください。 ①「集合」という言葉を使って何を言おうとしているのか、また、「要素」が何を指すかの定義が書いてありませんので、意味を教えてください。例として、下記の2つの記載部分を分かりやすく説明する具体例を挙げて教えて頂ければと思います。 ア)『ソシュールは集合のうちで、その集合に含まれる要素の性質がお互いにそれぞれ違っているものを「体系」と呼びました。』 イ)『同じ体系に含まれる他の要素との関係を見極める必要がある。』 ②『語の意味を区別するかどうかという観点からグループ分けされた音声の集合を「音素」という』の部分について(例として、sとz)。 ア)語の意味を区別している場合に、それらの音素は「別の体系にある」という理解でよろしいでしょうか。 イ)逆に同じ音素でも語の意味を区別することもあるのでは?と思ってしまうのですが、いかがでしょうか。 |
まずご質問の「要素」と「集合」について、テキストの「ネコ」の例に沿って考えていきましょう。私たちが「ネコ」という単語を聞いたとき、思い浮かぶ、ある一定のイメージがあることと思います。しかし、実際は一匹として全く同じネコはいません。「ネコ」と指し示すことができる以上、「ひげがある」「しっぽがある」「ニャーと鳴く」など普通、私たちが「ネコ」であると認識するに足りる要素を備えているはずです。このような要素を備えているからこそ、私たちは目の前の事物を「ネコ」と認識することができます。ここでいう要素は「条件」や「性質」と言い換えてもいいでしょう。ある事物がある語で指し示されるために必要な条件・性質が「要素」というわけです。そして特定のイメージを想起するに足りる共通の「要素」を備えた事物が一つの語の下に集められたグループが「(事物の)集合」です。 ご質問①ア)の文を「ネコ」という集合を例に考えると、「ネコ」の中には、性質の異なる「シャムネコ」「トラ猫」「三毛猫」などの語が存在します。そして例えば「シャムネコ」がどのような性質を持っているかは、「トラ猫」「三毛猫」など、他の要素との差異によって決まってきます。つまり、私たちは「シャムネコ」という語がどのような性質を持つのかを見極める際は、同じ「ネコ」に属する「トラ猫」や「三毛猫」という語との関係(違い)を考えなければなりません(←これがご質問①イ)。従って、「ネコ」は「体系」と捉えることができます。 ・ご質問②ア) 語の意味を区別している場合に、それらの音素は「別の体系」でなく「同じ体系」にあります。例えば、/z/と/s/という音素は、有声音か無声音かの違いで、/zaikai/(財界)、/saikai/(再会、再開)のように語の区別があるわけですが、この二つの音素は「摩擦音」という同じ体系に入っています。この二つの音素は同じ体系に入っているからこそ、有声音、無声音という差異によって、その違いが認識されるわけです。 ・ご質問②イ) これは、上の例で言えば/saikai/と言ったときに、「再会」「再開」という意味の異なる語になるのではないか、ということでしょうか。この二つの語は音素としては同じであり、そこにこの単語の区別はないわけですが、今度は「意味」という観点から二つの語は異なってきます。そのため、音素レベルでは全く同じ単語であれ、「意味」、つまり「再開」「再会」という語が含む「要素」に違いが出てくるため、この二つの語は違う語として区別されるわけです。 最後に、当該節の内容と日本語教育の関連についてですが、ある語について考える際に、他の同じ体系にある語とどのように異なるのか、といったように他の語との関連の中で意味を捉えていく視点は日本語教師がぜひ持っていたい視点です。 |
p.32-33 | 拘束形態素について質問します。日本語教育能力検定試験の平成29年度の問題で、金髪、酒蔵、花曇りといった言葉の「髪」「蔵」「曇り」の形態素についての質問ですが、髪(patsu)は単独で使えず、単独で(patsu)と読めないので、拘束形態素の拘束形式と説明していました。髪(patsu)がなぜ単独で使えないか、その理由がわかりません。「蔵」(gura)は単独で使えますか。「曇り」(gumori)についても単独で使えるのでしょうか。解説をお願いします。 | 拘束形態素と拘束形式についての質問です。この二つの概念を理解するためには形態素と形式という分類全体を整理する必要がありますので、まず以下の内容を確認してみましょう。 形態素: ・自由形態素と拘束形態素に分けられる。 ・分類基準は単独で語になれるかどうか。 ・自由形態素は単独で語となれる形態素、拘束形態素は語となれない形態素をさす。(テキストp.32-33もご参照ください) 形式: ・自由形式と拘束形式に分けられる。 ・分類基準はある語の読み方が単独で用いることができる形式かどうか。 ・自由形式は単独で用いることができる形式、拘束形式は単独で用いることができない形式を指す。 このように自由/拘束形態素と自由/拘束形式はそれぞれ違う概念を指すわけですが、この二つの概念の関係がどのようになっているのかを「蔵」(くら)の例で見てみましょう。 「蔵」(くら)というのは他の語と結びつかなくても、これ単独で語になることができます。そのため「くら」は自由形態素であるということになります。また、「蔵」(くら)の訓読みには「くら」の他に「ぐら」という読み方もあります。このような場合、形態論では自由形態素{kura}には異形態/kura/と/gura/があるという言い方をします(異形態とはある形態素が持つバリエーションのことです)。この{}に入っているkuraというのがこの形態素の代表として抽出された言い方ということになります。つまり、蔵が/kura/と読まれても/gura/と読まれても、/kura/も/gura/も同じ自由形態素{kura}の下に存在するため、どちらの読み方をされても形態素の分類としては自由形態素ということになります。しかし、形態素{kura}は/kura/という読みの場合は「クラを建てる」と単独で用いることができますが、/gura/という読みを使って「グラを建てる」とは言えません。「グラ」という読み方は「酒蔵(サカグラ)」「忠臣蔵(チュウシングラ)」のように必ず他の語に付属した形でしか用いられません。このことを、/kura/という形式は単独で用いることができるため自由形式、/gura/という形式は単独で用いることができないため拘束形式であるという言い方をします。以上より、形態素{kura}は自由形態素であり、/kura/という読みは自由形式、/gura/という読みは拘束形式であると言えます。ご質問の「蔵」(gura)は単独で使えるかという件ですが、これは「単独で語になれるかどうか」(=自由形態素かどうか)ではなく「使えるかどうか」(=自由形式かどうか)というご質問かと思いますので、答えはNOということになります。 続いて、ご質問にあった「髪」という語を考えていきましょう。まず「髪」には代表的な読みに「かみ・がみ」という訓読み、「はつ・ぱつ」という音読みがあります。形態素という観点で見ると、「かみ・がみ」という訓読みと、「はつ・ぱつ」という音読みのグループはそれぞれ違う形態素ということになります。形態素{kami}と形態素{hatsu}です。そして、それぞれ形態素{kami}には異形態/kami/と/gami/、形態素{hatsu}には異形態/hatsu/と/patsu/があるということになります。形態素{kami}の方はさきほどの形態素{kura}と同じように単独で語となれるため自由形態素であり、/kami/というのが自由形式、/gami/というのが拘束形式ということになります。一方、ご質問の形態素{hatsu}は、{hatsu}単独では語となれないため、拘束形態素ということになります。そして、/patsu/というのは単独で「パツが伸びた」などと言えないため、/patsu/は拘束形式ということになります。よって、お読みになった説明のとおり、髪(patsu)は「拘束形態素」であり、「拘束形式」ということになります。 最後に「曇り」(/gumori/)についてですが、これは形態素{kumori}にある読み方の一つで、もう一つは/kumori/です。「曇り」(/gumori/)は形態素{kumori}の下に分類されており、単独で意味を表す語となれますので、「曇り」(/gumori/)は自由形態素ということになります。しかし、/gumori/という読み方は「今日はグモリである」などと単独では使えず、必ず「花曇り(ハナグモリ)」「雨曇り(アマグモリ)」などのように他の語に付属して使われますので(=単独では使えない)、これは拘束形式ということになります。 |
p.34 | タスク1について質問です。動詞語幹の後に来る活用語尾について、例えば解説では「なる」は、「nar+ru」のように分けられていますが、なぜ「nar+u」とならないのでしょうか。同テキストp.27の説明からすると、形態素はそれぞれ動詞語幹としてのnar、活用語尾としてのuで分けられるのではないのでしょうか。また、「頑張れば」の「gaNbar」部分で、Nが大文字であることに何か意味があるのでしょうか。 | 形態素で分類するとき、動詞は「動詞語幹」(内容形態素、拘束形態素)と「動詞語尾」(機能形態素、拘束形態素)に分けられます。例えば、「飲めば」「食べれば」のように仮定を表す活用語尾は、五段動詞(語幹が母音で終わる動詞)の場合は/e/、一段動詞(語幹が子音で終わる動詞)の場合は/re/となり、過去を表す場合、「飲んだ」「食べた」のように、五段動詞の場合は過去の助動詞「た」が/da/となるものがあったり、一段動詞の場合は/ta/となったりします。 これらの/e/と/re/、/da/と/ta/は、テキストのp.29で説明されている「異形態」に相当します。つまり、語幹が子音で終わる場合と母音で終わる場合で形態が異なりますが、元は同じ形態素({re}と{ta})であります。このように同じ形態素が環境によって異なる形態で現れる場合も、形態素としては代表して一つの名前をつけます({re}と{ta})。ご質問の「なる」という終止形を形成する活用語尾の{ru}も同様です。/u/と/ru/という異形態を持ちますが,形態素の分類では{ru}となります。 また「gaNbar」部分で、Nが大文字であるのは、音素レベルでの表記になっているからです。子音語幹動詞「がんばる」の語幹として、/ gaNbar /と書かれているものの/N/とは、単に「ん」の音素表記を表しています。「ん」の音は、後続する音に応じて、[m][n][N]といった異音があります。テキスト当該箇所は、あくまで音素レベルで表記していますので、これらの異音の代表形として/N/(日本語の特殊音素「ん(撥音)」)を用いているわけです。音素と異音については、テキスト7巻「日本語の音声Ⅰ」p.48に詳しく載っていますので、こちらもあわせてご覧ください。 以下ご参考まで。 音素→異音 /N/→[m](「ん」に両唇音/b、m、p/が後続する場合、「ん」は[m]と実現される) [n](歯茎音/d、n、t/が後続する場合、「ん」は[n]と実現される) [N](軟口蓋音/k、g/が後続する場合、「ん」は[N]と実現される) |
p.36 | 転換という項目の中で「→すごい頑張った(副詞+名詞)」は、本来は「→すごく頑張った(副詞+名詞)」とすべきところを現代の若者ことばの一例として取り上げられているのですが、日本語学習者に対してはこの表現法を正用として教授してよいのでしょうか。それともこれは誤用なのだが最近の若者の間で広まってきている現状を説明するだけで、まだ正式に認められていないので公式な文章表現などでは使用しない方がよいと指導した方がよいのでしょうか。 | 「すごい頑張った」などの「すごい+動詞」の表現法を学習者にどのように教えるかについての質問です。まず、このような表現を学習者に紹介するかどうかは、学習者がどのような目的で日本語を学んでいるのか、どのような日本語環境にいるのか、といった点を考慮する必要があります。学習者がカジュアルな場面で日本語でコミュニケーションをとる場面が多く、特に若者と接する機会が多い場合にはこのような表現を教授することは有効でしょう。しかし、その際には「正用」として教えるというよりは、本来の文法のルールとは異なるが、現在は特に若者の間で使われる「生きた表現」として、紹介するとよいでしょう。 また、公式な文章表現とはどのような文章を想定するかにもよりますが、作文のようなものでしたら、「すごい+動詞」という表現よりも、「すごく+動詞」または「とても」という表現を使った方がよいと説明するべきでしょう。また、レポートや論文などの文章の場合には、そもそも強調表現として「すごく」という表現は好まれず、「非常に」「極めて」といった表現を使う必要が出てきます。そのため、「正式な文章表現」といったときに具体的にどのような文章で使われるのかといった点も含め、教授する必要があるでしょう。 「すごい+動詞」の表現に限らず、ら抜き言葉や「全然+肯定」(「全然大丈夫」)のような表現は「正しくない日本語」として取り上げられることが多いですが、そもそもことばは生き物であり、常に変化し続けるものです。また、日本語学習者にとっては「正しい日本語」よりもむしろ「実際に使われる日本語」を理解、使用できるようになることが重要ですから、このような点も含め、教師は学習者に色々な表現を教授することが求められます。学習者が日本語を使って生活していくうえで、その表現を知らない、使えないことが不利益にならないかという点を常に考えながら、指導にあたっていくとよいかと思います。 |
p.37 | タスク2について質問です。5番の道交法は、混合ではないのでしょうか。解説を見ても、結局どの語形成の方法なのかよく分かりません。 また、「切手」は混合であるとp.36に例として載っていましたが、切手がそもそも複合されたものであるかどうか等はどうやったら分かるのでしょうか。私は切手が語形成されたものではないと思っていました……。 もう一つ、省略と混合の違いもいまいちよく分かりません。「路駐」などは混合とも考えられるのではないのでしょうか。 |
疑問点を解決するために、まず省略と混合の違いからご説明します。省略は、p.36に「すでにある形態素の一部を省略する。」とありますが、「テレビジョン」「自動販売機」「路上駐車」を、一つ形態素(ここでは名詞という内容形態素)としたうえで、「テレビ」「自販機」「路駐」と省略しています。英語の例では、「laboratory」を「lab」、「telephone」を「phone」、「influenza」を「flu」などがあります。 混合は、形態素の一部を省略して新しい言葉をつくることです。ご質問に「私は切手が語形成されたものではないと思っていました……。」とありましたが、実はこの疑問がこの「省略」と「混合」の違いに大きく関係しています。上記の省略の言葉、「自販機」「路駐」はあくまでも省略された形で、正式な場面などでは「自動販売機」「路上駐車」と言います。「テレビ」については、実は辞書で「テレビジョン」の略とあるように、正式な場面では「テレビジョン」と記されることが多いようです。また、テキストp.36(18)に「きもい」「むずい」などが「省略」の例として載っているように、「省略」は正式な使われ方ではないことがお分かりになるかと思います。ご質問の5番道交法についてですが、本来は「道路交通法」という(正式な)名詞の形があります。その一部を省略しているので「省略」となります。 一方「混合」とは、すでに新たな語として固定化したものを指します。ですから「切手」が「混合」であることは通常意識されないものです。ほかにも、「やぶる」と「さく」で「やぶく」も「混合」の例で、英語では、brunch以外にも「smoke」と「 fog」で「smog」などもあります。このような例については、p.36にもありますが数としてあまり多くありませんので、NAFLなどのテキストの例に出てきた言葉を「混合」として覚えておくことでよいかと思います。 |
p.38 | (1)太郎が花子と喫茶店で話をしていた。の構造が (2)名詞+格助詞+名詞+格助詞+名詞+格助詞+名詞+格助詞+動詞+接続助詞+補助動詞+助動詞 とあるのですが、名詞+格助詞のセットが一組多いような気がします。 |
(1)太郎が花子と喫茶店で話をしていた。の文の構造を以下に示します。 太郎(名詞)が(格助詞)花子(名詞)と(格助詞)喫茶店(名詞)で(格助詞)話(名詞)を(格助詞)し(動詞)て(接続助詞)い(補助動詞)た(助動詞) 名詞+格助詞のセットは、 太郎(名詞)が(格助詞) 花子(名詞)と(格助詞) 喫茶店(名詞)で(格助詞) 話(名詞)を(格助詞) の4つとなります。「話をする」という動詞でお考えだったのかもしれませんが、「~をする」の「~」の部分を「ゲーム」「宿題」など、他の名詞に変えることができることを考えると、構造としては「名詞+格助詞+動詞」という形になります。 |
p.53、54 | 「排反関係」「反意関係」「逆意関係」の違いが分かりません。試験問題を解く際にはどういう視点で取り組めばいいでしょうか。 | 反義関係あるいは反義語(反対語)といわれるものには、大きく三つの語彙関係があります。 一つ目は、排反関係、背反的対義語(または相補的反義語ともいいます)とよばれるもので、「生」「死」、「表」「裏」のように一方が他方の否定になっているものです。生きていることができるものは、必ず「生」か「死」かのどちらかの状態にあり、中間段階がなく、片方を否定すると他方の意味になるものです。「出席・欠席」「ある・ない」もその例になり、狭い意味で反義語という場合は「背反的対義語」を指し、排反関係にある語になります。 二つ目は、反意関係、段階的(連続的)対義語とよばれるもので、「大きい」「小さい」のように、それらの中間に順序の連続的な段階が想定できるものです。この場合は、〈大きくも小さくもない〉ことがありえます。広い意味で反義語(反対語)といわれる多くの語は、この関係にあり、「高い・低い」「暑い・寒い」はこの例に多くあります。 三つ目は、逆意関係、逆関係、相互関係とよばれるもので、「あげる」「もらう」、「貸す」「借りる」のように、同一事象の言い換えとして成り立つ関係にあるものです。〈A がB にあげた(貸した)〉と〈B がA にもらった(借りた)〉とは同じ現象の異なる視点からの表現になります。「売る・買う」や「上り坂・下り坂」もその例に当たります。 試験問題を解く際には、まずはこの種類のどれかという視点で考えるのが分かりやすいかと思いますが、実は他にも語と語の対立を考える視点はあります。例えば、 ・対立語:中心点を挟んで空間的に対立する位置・方向をさす語で、「東・西」「南・北」「右・左」「前・後ろ」などがその例です。 ・両極的対義語:両極的対義語も中心点が存在し、そこから「両極」である点が対立語と違う点です。例えば「南極・北極」「最高・最低」「満点・零点」などです。 |
p.60 | 「(38)怪獣ヘドラは親切でした」という例文の意味がわかりません。(真偽の関係) | 「怪獣ヘドラは親切でした」と言われても、まず私たちは「怪獣ヘドラ」を知りませんし、きっとそれは存在しないものでしょう。ですから、それが「親切だ」と言うのに対し、「そのとおりだ」と肯定できず、「いや、ヘドラは不親切だ」と反論もできません。「ヘドラ」の存在すら怪しいのに、その「ヘドラ」の性格について述べることはできないからです。 テキストには「(36)が偽の場合、(35)の性質が(38)と同じになる」とありますが、これは (36)花子が訪ねてきた。 が偽である場合、 (37)太郎は【花子が訪ねてきた】ことを忘れた。 の【 】の中が偽であることになり、それを忘れるもなにも、これがナンセンスな文であることは、(38)と同じである、と書いているわけです。(38)では「怪獣ヘドラ」が前提、(37)では【花子が訪ねてきた】が前提ですが、この前提が偽である場合、(37)(38)ともに真とも偽とも言えない、ということになります。 |
p.69 | 協調の原理について次のような場面についてお教えください。社内の同僚との明日からの3日間の旅行の前日、台風が近づいてきている場面です。話し合いでは、予定通り実施することになったあとでのAさんの発話です。 A「これってどうなのでしょうか。大丈夫なのですか」 Aさんの本音は、中止した方がいいと思っているがあからさまな反対ではなく、疑問形で発話している。 Q1.これは4つの原則のどれにあたりますか。 Q2.10数人程度の同僚とのグループ旅行(あきらかな上下関係はなし)の場合、どのような言い方が日本語では適切なのでしょうか。やはり協調性の原理をはたらかせるような会話がよいのでしょうか。 |
協調の原理についての質問です。まず協調の原理は、会話を成り立たせるための原則を説明したものであって、その原理に従って会話をしなければならないものではありません。4つの原則とはp.69にある通りですが、この原理に従って、台風の心配のある状況における「大丈夫なのですか。」という発話を説明すると、「大丈夫なのですか。」という発話で、必要とされている量の情報を提供しているので「量の原則」に従っており、嘘も述べていないので「質の原則」にも従っています。さらに関係性のあることを述べているので「関係の原則」にも従っています。「様式の原則」は、「ええと、、」「あの、、その、、」など言いよどんだりする発話や、あいまいな表現、不明瞭な表現を使わないことですが、この発話は明瞭なので「様式の原則」にも従っています。このように、通常我々はこの原則に従って会話を行っているのです。ですから、Q1の質問については、すべて当てはまるというのが答えです。 ただ、同じ状況で A:では予定通り明日から旅行に行きましょう。 B:ああ、天気予報で……。 のような発話があった場合、旅行なのに「天気予報」という話題は「質の原則」に反しており、「ああ、」など不明瞭な会話も「様式の原則」に反しています。ただ、このような会話は実際に存在していますし、成り立っているのは「含意」が存在するからなのです。協調の原理に従って会話をすると、「大丈夫なのですか。私は中止にしたほうがいいと思います。」と不安な点、中止にしたほうがいいことを明確に述べるのが様式の原理にも量の原理にも従った発話です。ただ、原理に反したように見える発話でも会話が成り立っているのはなぜか?と考えると、そこには「含意」があるからです。我々は原理に従って「含意」を推測をしているからこそ、この会話が成り立っているのです。 「含意」については、p.69-70で詳しく述べられていますのでご確認ください。また、Q2のご質問ですが、協調の原理は「協調性」を問うものではなく、適切性とも関係がありません。ですから、こちらはお答えすることができません。「適切性」の問題は、ポライトネス理論と関係がありそうです。15巻「社会言語学」の3章もご参照ください。 |
p.90 | 問14についてです。正答はD、私の解答Cでした。CかDで迷いましたが、結局Cとしました。「犬に」の名詞群の部分が異なる構造標識ということでしょうか。それとも「噛まれた」でしょうか。問題文「太郎は本を買った」との構造標識との違いがわかりません。 | 問題文「太郎は本を買った」と選択肢C、選択肢Dの構造標識を以下に示します。構造標識はテキストp.44にある「樹形図」を用いたり、(17)のように細かく分けて表すのですが、このスペースでは分かりにくいので、テキストp.43(15)のように、文と名詞群、述語群に分けてご説明します。 文=太郎は本を買った(問題文) 太郎は[名詞群]=太郎[名詞]+は[助詞] 本を[名詞群]=大学[名詞]+を[助詞] 買った[動詞述語群]=買っ[動詞]+た[助動詞] 文=太郎は大学に合格した。(選択肢D) 太郎は[名詞群]=太郎[名詞]+は[助詞] 大学に[名詞群]=大学[名詞]+に[助詞] 合格した[動詞述語群]=合格し[動詞]+た[助動詞] 文=一郎は犬に足をかまれた(選択肢C) 一郎は[名詞群]=一郎[名詞]+は[助詞] 犬に[名詞群]=犬[名詞]+に[助詞] 足を[名詞群]=足[名詞]+を[助詞] かまれた[動詞述語群]=かま[動詞]+れ[助動詞]+た[助動詞] 以上を見ると、選択肢Cは名詞群が3つあり(「一郎は」「犬に」「足を」)、また動詞述語群も受け身助動詞「れ」と完了助動詞「た」の二つに分けられます。したがって、正解は選択肢Cとなります。文の構造については、先ほど示したテキストp.41-47をご参照いただくと理解が深まるかと思います。 |
p.91 | 問題(18)の「厚い、薄い」と同じ関係にある語を選ぶ問題で解答がCとなっています。A、B、Dとの違いは何でしょうか。 | この問題は、選択肢それぞれ二つの語の意味関係をみる問題です。まず、選択肢の各語の意味関係をまとめておきます。 問題 厚い:薄い = 反意関係 A 寒い:冷たい= 同義関係(類義関係) B 白い:黒い = 非両立関係 C 重い:軽い = 反意関係 D 甘い:辛い = 非両立関係 BとDは、Bの「白い:黒い」の「白い」に対する「黒い」以外に「赤い」「青い」などがあげられ、「白い」と対立する語が「黒い」とは限らないので、 反意関係ではなく、非両立関係になります。同様に考えるとDの「甘い:辛い」についても、「甘い」に対して「すっぱい」「にがい」「しょっぱい」など複数の語があげられるので、非両立関係となります。このように、共通の意味特徴(Bなら「色」、Dなら「味覚」)を持ちながらお互いに対立している語同士の関係を「非両立関係」といいます。反意関係との違いは、上位語、下位語などといった、共通の意義特徴がある点があるため、関連した複数の語があげられる点にあります。 一方、問題文の「厚い:薄い」は、「厚い」という程度がどんどん小さくなれば「薄い」に行きつく相反する関係のある語彙なので、反意関係となります。しかし、「厚くない」ということが「薄い」という意味にはならず、その途中に「厚くもなく、薄くもない」といった中間の存在がある点が、排反関係と違う点です。同様に、C「重くない」ことが「軽い」という意味とはならず、「重くもなく、軽くもない」という中間の存在があるので、これは「反意関係」となります。しかし、Aの「寒い:冷たい」の二つの語の意味の関係をみると、共通の意義特徴(何かしら冷えている様子)があることから「同義関係」となります。 |
p.91 | 実力診断(20)についてです。前提の問題で、答えがD「台風が関東地方に上陸することが予測されていた。」ではなく、C「台風が関東地方に上陸した。」でなければならない理由を教えてください。Dも間違いではないように思います。 | 「前提」とは、ある文の意味が実際に成立するための必要条件のことを言いますが、『PがQを前提する』ということは、以下の1~3がすべて成り立っているかどうかで判断します。 1)PがQを含意している(つまり、Pが真であればQも真である) 2)Pの否定がQを含意している(つまり、Pが偽であってもQは真である) 3)Qが偽であればPは真でも偽でもない 「気象台は関東地方に台風が上陸することを正確に予測していた。」と選択肢の関係を考えてみます。Aは、Pの否定「~を予測していなかった」のなら「気象台が予測を出した」は偽になりますし、「気象台が予測を出していなかった」のだとしたら「~を予測していた」も偽と判断できます。また、選択肢Dは、問題文がDを含意し・Dが問題文を含意するという関係が同時に成り立っています。このような場合に両者は「等値」であるといわれます。Dは、問題文と同じ内容ですが「前提」ではありません。 選択肢Cは、〈台風が上陸した〉という事実を「予測していた」ということですから、1)の条件が成り立ちます。また、上陸が予測できていなくとも〈台風が上陸した〉という事実には影響を与えませんので、2)が成り立ちます。そして、〈台風が上陸した〉という事実がなければ、「予測していた」の当否は問えませんから(この点についてはテキストp.62の例文35の例を参照してください)3)が成り立ちます。したがって、正答はCのみとなります。 |