NAFL模擬テスト よくある質問 | ||
| 該当ページ | 質問 | 回答 |
| 模擬テスト1 | ||
| p.1 | (4)解説の「聞き手に対して機能する」と「行為が向かう相手に対して機能」するの意味がわかりません。 伺うは「聞く」「行く」の謙譲語だとおもうのですが、この問題の場合どちらの謙譲語でも考え方は解説と同じですか? | 「伺う」と「参る」はどちらも謙譲語ですが、2007年文化庁答申「敬語の指針」により、 従来の謙譲語から謙譲語Ⅰ、Ⅱに分けられ、その違いに基づき使い分けされるものとなっています。 謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱは、どちらも自分の行為を低くして相手を立てますが、 「伺う」は謙譲語Ⅰのタイプに属し、自分側から相手側または第三者に向かう行為やものごとについて、 その向かう先の人物を立てて述べる場合に用いる語です。 こちらが解説にある「行為が向かう相手に対して機能」する用法です。 例えば、「あす、先生の研究室に伺います」と言った場合には、 先生の研究室は先生側に属するものですから、「行く」ではなく「伺う」を用いることで、 主語である自分を低め、行為の向かう先である「先生」を立てていることになるのです。 しかし、「弟の家に伺います。」と言った場合はどうでしょうか。 行為の向かう先が「弟」である場合に、謙譲語Ⅰを使ってしまうと、 弟を立ててしまうことになるので、適切な用法とならなくなってしまいます。 その他、「容疑者に面会に伺います。」などの例も不自然な用法になるのも同様に説明できます。 一方、謙譲語Ⅱは、「聞き手」に対して丁重に述べるというタイプの語で、 「丁重語」とも呼ばれ、こちらが解説にある「聞き手に対して機能する」用法です。 ですから「あす、先生の研究室に参ります」と言った場合は、 別の先生(仮にB先生とします)に対して述べている場面を想定でき、 聞き手であるB先生に対して丁重に述べている、という文になります。 なお、実際に行く相手である先生に対して「あす、先生の研究室に参ります」と言うこと自体は、 もちろん問題なくできます。 そして、この場合は、「弟の家に参ります」という言い方ができます。 なぜなら、それは弟を立てて述べているのではなく、 話し相手(例えば、先生や上司など)に対して丁重に述べているという解釈になるので、 こちらの用法は問題ありません。 文化庁「敬語の指針」には両者の違いを含めさらに詳しい解説があり、 文化庁ホームページからもダウンロードできますので、学習項目を整理されるための参考資料として、 ダウンロードしておくことも併せてお勧めしいたします。 |
| p.7 | 問題3(9)の解き方として考えたのは、下記のように直すことだと思いました。 1)昨日、レポートを書いた → レポートを書いた昨日 2)ペンで絵を描く → 絵を描くペン 3)朝、女の子を見た → 朝に見た女の子 4)新しいかばんを友達にあげた → 新しいかばんをもらった友達 上記のように考えて1番を不正解に挙げるのは、考え方として間違っていますか。 また、3)は「朝」に格助詞「に」をつけた 4)は「あげた」を「もらった」に変更した こちらに関しても間違った解釈をしているのでしょうか。 | まず、問題にある「文の格成分になり得る」という意味を確認しましょう。「格成分」の「格」というのは「が」「を」「に」「で」「から」「へ」「と」などの格助詞のことです。したがって「文の格成分になり得る」というのは「格助詞とともに文において示すことができる」という意味になります。例えば、問題文にある「昨日書いたレポート」という名詞修飾は元の文に直すと「昨日レポートを書いた」となりますよね。そして、名詞修飾で被修飾語になっている「レポート」は、元の文の中で「レポートを」と格助詞「を」を伴って示されています。そのため、「レポート」という被修飾語の名詞は文の格成分になり得るといえるわけです。そして、このように被修飾語の名詞が文の格成分になり得るものを「内の関係」と呼びます。 この点を踏まえ、問題を見てみましょう。1から4の選択肢では、名詞修飾を作る前の、元の文が示されています。そのため、その文の中で示された文の要素(「昨日」「ペン」「女の子」「友達」)が格助詞とともに示されているかを見れば、この問題は解けるわけです。各選択肢を確認してみると、次のことが言えます。 2.「ペンで絵を描く」の「ペン」は格助詞「で」とともに文中で示されている。 3.「朝、女の子を見た」の「女の子」は格助詞「を」とともに文中で示されている。 4.「新しいかばんを友達にあげた」の「友達」は格助詞「に」とともに文中で示されている。 しかし、1.「昨日、レポートを書いた」の「昨日」には格助詞がついていません。また、格助詞「が」「を」「に」「で」「から」「へ」「と」のいずれかを入れようとしても入りません。 このことから、「文の格成分になり得る」ものの例とならないのは1となります。 ちなみに、ご質問で示して下さったように、選択肢で示された文を名詞修飾に直す場合、表現を変えてしまうと意味、構造が変わってしまうため、文の成分はそのままにして元の文から名詞修飾に直さなければなりません。つまり、 1昨日、レポートを書いた → レポートを書いた昨日 2ペンで絵を描く → 絵を描くペン 3朝、女の子を見た → 朝、見た女の子 4新しいかばんを友達にあげた → 新しいかばんをあげた友達 のように直すことになります。4は名詞修飾にした際に「もらう」としないとおかしいと思われたかもしれませんが、「(私は)新しいかばんを友達にあげた→(私が)新しいかばんをあげた友達」と主語を補って考えれば「新しいかばんをあげた友達」という言い方が成り立つことがお分かりいただけると思います。(ちなみに名詞修飾において、修飾節の主語は「は」ではなく「が」で示さなければならないルールがあるために元の文で示された「私は」という主語は「私が」と「が」に変換されています。) 各選択肢の名詞修飾を見てみますと、2、3、4は全て被修飾語「ペン」「女の子」「友達」が元の文では「で」「を」「に」で示されており「文の格成分となり得る」ため、問題文にあるように「内の関係」の名詞修飾であるといえますが、「レポートを書いた昨日」というのは「文の格成分になり得る」とはいえないため、これは「外の関係」の名詞修飾ということになります。 |
| p.7 | 文の格成分になり得るとはどういう意味ですか?内の関係、外の関係の名詞修飾の違いもわかりません。 | 「内の関係」と「外の関係」に関するご質問ですね。 「内の関係」とは例えば、「太郎が読んだ本」「北海道で会った人」「サンマを焼く男」などの連体修飾節を指します。この連体修飾節の、「太郎が読んだ本」の「本」、「北海道で会った人」の「人」、「サンマを焼く男」の「男」という修飾される名詞のことを「被修飾語の名詞」と呼ぶわけですが、「内の関係」と呼ばれる連体修飾節の特徴は、被修飾語の名詞を格助詞(「ガ」「ヲ」「ニ」「デ」「カラ」「ヘ」「ト」など)だけを補うことで元の文に戻せるということです。 どういうことかというと、「太郎が読んだ本」という連体修飾節は「太郎が本「を」読んだ」というように「本」に「を」という格助詞を補うことで元の文に戻すことができます。また、「北海道で会った人」は「北海道で人「に」会った」と格助詞「に」を補うことで元の文に戻すことができます。「サンマを焼く男」も「男がサンマを焼く」とガ格に被修飾語の名詞「男」を戻すことができました。これが、p.7の問題文にあった「被修飾語の名詞が文の格成分になり得る」という意味です。 一方、「外の関係」は「サンマを焼くにおい」「元首相がわいろを受け取った事実」などの連体修飾節を指します。「外の関係」と呼ばれる連体修飾節の特徴は、「内の関係」の連体修飾節と違い、被修飾語の名詞を格助詞を補って元の文に戻すことができないということです。 例えば、「サンマを焼くにおい」は被修飾語の名詞「におい」を元の文に戻すことができるでしょうか。作ってみると、「におい「が」サンマを焼く」「におい「を」さんまが焼く」「におい「に」さんまを焼く」などとなってしまい、文が成立しません。また「元首相がわいを受け取った事実」の中の被修飾語の名詞「事実」に格助詞を付けて元の文を作ろうとすると、「元首相がわいろを事実「で」受け取った」「元首相がわいろを事実「から」受け取った」などとなってしまい、やはりこちらも文が成立しません。このように格助詞を補うことで元の文に戻すことができない連体修飾節を「外の関係」と呼びます。 「内の関係」「外の関係」についてはテキスト10巻『日本語の文法-基礎』p.125-130において詳しく説明されていますので、こちらも合わせてご確認ください。 |
| p.8 | (12) 原語は同じつづりでありながら、日本語としての対象物の違いを言い分けて(ベニスとベネチア)のように日本語では違う語形を使う。ですが、ベニスとベネチアの原語のつづりは何ですか? 1のアイロン(アイロン)とアイアン(鉄、クラブのアイアン)はIRONで英語で同じつづりです。同じつづりで、日本語ではちがう語形となっているので1も答えになりそうなのですが。 原語と語形についてもよくわかりません。 | まず原語と語形についてご説明いたします。 原語は、日本語に翻訳、語訳される前のもとの外国語という意味で、 語形は、単語の形のことで、日本語の単語では50音などが どのような形で配列されて語の形になっているかということです。 ご質問のベネチアとベニスで言うと、左が原語で右が語形です。 Venezia ベネチア Venice ベニス また、この問題は、 「原語では同じつづりでありながら、日本語では違う語形を使うもの」を選ぶ問題です。 ベネチアはイタリア語、ベニスは英語ということで、上記のように原語が異なりますが、 同じ対象物(イタリアの都市)を指し示しているので、 こちらがこの問題の正答となります。 また、他の選択肢についてですが、 原語では 選択肢1 iron 選択肢2 truck 選択肢4 Hepburn と同じ綴りです。 しかし、アイロンとアイアン(ゴルフ用具)、トラックとトロッコ(手押し車)、 ヘボン(ヘボン式ローマ字)とヘップバーン(人名)と指し示す対象物が異なりますので、 日本語の語形は異なった形を使っているということになります。 |
| p.18 | 問題5 1 認知心理学、行動主義心理学がよくわかりません。 | 行動主義心理学というのは、オーディオ・リンガル・アプローチの理論的背景となっている学問です。 行動主義心理学では、一定の刺激に対して、 一定の反応が生じるように習慣形成をすることに重きを置いており、 その習慣が形成されれば「学習が成立した」と考えます。 つまり、この行動主義心理学を理論的背景に持つオーディオ・リンガル・アプローチでは、 外国語学習とは外界からの刺激に対して自然に反応できるような習慣を形成する過程と捉えるわけです。 そして、このような言語学習観が「教師の指示(=外界からの刺激)に対して即座に答えられる (=自然に反応できる)ようになるまで、練習を繰り返し行う(=習慣を形成する)ことが大切だ」 という主張を生み出しました。そして、このような習慣形成のために開発されたのが、 パターンプラクティスと呼ばれる口頭ドリル練習なわけです。 行動主義心理学については、 第2巻『日本語教授法Ⅰ』p.93「4-6 行動心理学とオーディオ・リンガル・アプロ―チ」 でも説明がなされていますので、確認してみてください。 この行動主義心理学に関しては、やがて批判が出始めます。 言語の学習においては、単純な表面的言語構造の反復練習による習慣形成よりも、 人間の認知力を活用し、言語行為の底にある言語能力 (人間 が文法的に正しい文を無限に生成し理解するための知識)の育成を計ることが大切である という批判です。 この、「人間の認知力を活用し、言語行為の底にある言語能力の育成を計ることが大切」 というのが認知心理学の「学習」への考え方です。 認知心理学では、学習者は理性を働かせる能力を持った授業への積極的な参加者とみなされます。 授業での目標はある種の習慣を形成したり、言語行為を示すのでなく、 学習者の中にすでに内在化されている言語能力を伸ばすことだと考えるのです。 そのため教師や教材が言語材料を示せば、 学習者は自然に学習方略や能力を活性化していくと考えるのです。 つまり、問5の選択肢1は「認知心理学が行動主義心理学から批判され」たのではなく、 「行動主義心理学が認知心理学から批判され」たわけです。 |
| 模擬テスト2 | ||
| p.9 | 試験Ⅱ問題2解答のポイントにある、文末イントネーションの説明の、「イントネーションで反対の意味になる表現(「イイヨ」など)」の意味がよく分かりません。教えてください。よろしくお願い致します。 | 例えば「どこにいくの」という文言は、文末が上昇調なら「どこに行くの?」という疑問になりますが、 文末が上昇せずに強く発音したら「どこに行くの!」と叱っているような発話になりますし、 文末を伸ばし気味、下降気味にすると「どこに行くの…。」という、例えば言うことを聞かない犬が散歩中にさんざん寄り道していて、飼い主が独り言で「今度はどこに行くつもりなんだ…。」と独り愚痴を言っているような発話になります。 解答解説のポイントには、そのように「文字面は同じであっても文末イントネーションが違うと意味が変わる表現に注意と言っているわけです。実際の問題でも、日本人はしっかりと疑問調で発音しているのに対し、学習者の音声は最後が下がっていて愚痴のような発話になっているような問題も多く出されます。 |
| p.10 | 4番 問1のd「媒介語を用いる」という選択肢について質問ですが、この問題における媒介語とはどう意味でしょうか。解答に書かれている「デジュネで」の部分が該当部分かと思いますが、この部分をなぜ媒介語と呼ぶのかわかりません。恐れ入りますが、ご教示くださいます様お願いいたします。 | 媒介語とは、ある言語の母語話者と非母語話者(あるいは、ある言語の非母語話者同士)が目標言語以外に用いる言語のことです。目標言語では伝えられない、または相手が理解できないだろうと想定する際に用いる、お互いがある一定以上運用力を有する言語で、話者同士の発話内容への理解を促すために用いられます。当該会話の中ではご指摘の通り、フランス語で「昼食」という意味の「デジュネ(déjeuner)」が用いられた部分が媒介語に該当します。 まず、設定を確認してみますと店名からこの店はフランス料理の店だと推測され、また日本語非母語話者である客は「デジュネ」や「コンビアン…ドゥ(combien de)」(=英語のHow manyにあたる表現)などのフランス語を発話していることからフランス語母語話者であると考えられます。このことから、この2人の話者間では日本語以外にフランス語が会話に対するお互いの理解を促進するための役割を果たしそうだということがわかります。レストランの店員がフランス語を流暢に話せるかは別として、フランス料理屋の店員ならば、料理や食事関連のフランス語に対してはある程度の知識があると想定できるわけです。 レストランのスタッフである日本語母語話者は「ランチでしょうか、ディナーでしょうか」と聞き、それに対して客である日本語非母語話者は「ランチ、デジュネで。」と答えるわけですが、これは「ランチ」よりも「デジュネ」といった方がこの二者間においては意味が確実に伝わる表現として機能するからであると考えられます。そのため、この表現はお互いの会話内容に対する理解を促すための媒介語であると捉えることができます。実際、日本語母語話者のスタッフも応答として「はい、デジュネ、ランチでございますね。」と「デジュネ」という単語をはっきりと理解したことを示すように繰り返していることからも「デジュネ」という単語が「フランス料理屋の店員」「フランス語母語話者」という属性を持つ話者間においてはお互いの理解を促進させるための媒介語の役割を果たしているといえます。 |
| p.17 | 問題6 7番 「お辞めする」が謙譲語だということですが、「辞めさせていただく」ではないのですか? 「わたしは学校をお辞めします。」は不自然に感じます。 | 謙譲語の形式に、 「お(動詞ます形)する」という形があります。 例えば、 持ちます→ 「その荷物、私がお持ちします」 撮ります→ 「お写真、お撮りします」 などです。 しかしこの例文では「辞めます」という自分ではなく相手の行動(先生)に対して 丁寧に述べなければならないので、 尊敬語の形式「お~になる」を使う「お辞めになる」が正しい言い方になります。 もしこれが「話し手自身」の行為である場合は、例えば、 「責任をとって、私がお辞めします」などとでしょう。 「辞めさせていただきます。」についてですが、 「~させていただく」は、本来相手からの許可を得て、そのことによって 恩恵を得る行為について述べる表現です。 例えば「すみません、こちらで写真を撮らせていただきます。」 「明日、休みを取らせていただきたいのですが…」などで、 「いただく」は謙譲語でありますが、 「~させていただく」という表現は謙譲語ではありません。 ただ、最近では「私が出演させていただいた作品です。」や 「私がコピーを配らせていただきます。」のように、 だれの許可を得たのかよく分からない用法(前者)、 恩恵を得ていない用法(後者)のような使い方も多くみられるようになりました。 これらは一見すると謙譲語であるような印象も受けますが、文化庁の指針などによると 最後の2例は本来の敬語としての使われ方とは異なるとされています。 しかしNHKの調査によると、この表現は徐々に認められているようですので、 より一般的な使われ方になっていくでしょう。 |
| 模擬テスト3 | ||
| p.4 | 試験3 P4 問題2 問3の4つの選択肢を、具体的な例文を使って説明してもらえませんか。 | まず、ここでは「連用修飾語」と「連体修飾語」という用語がありますが、 連体修飾語は、体言つまり名詞や代名詞を修飾する語であり、 連用修飾語は、用言つまり活用があり述語となる動詞、い・な形容詞等を修飾する語のことを言います。 以下が例です。 【連体修飾語】 〇 【新しい】時計を買う。 〇 【静かな】部屋で本を読む。 〇 これは、【父が買ってくれた】時計です。 【 】の部分が連体修飾語(最後の例は連体修飾節)です。 【連用修飾語】 〇 太郎は【早く】起きる 〇 山田さんは【静かに】歩く 〇 山田さんは【とても】親切だ 【 】の部分が連用修飾語で、い形容詞は、早い→早く、な形容詞は、静かな→静かにと活用させた形になります。 選択肢を個々に見ていきます。 1・連体修飾語は形容詞に先行する →連体修飾語は形容詞(用言)の前に来る語ではありませんので、文法的に間違った選択肢です。 2・連用修飾語は名詞に先行する →連用修飾語は名詞(体言)の前に来る語ではありませんので、文法的に間違った選択肢です。 3・連用修飾語の位置は任意である では、修飾語の位置ですが、解説にあるようにある程度まで流動的ではありますが、用言より前に来ることはありません。 例えば、例文の連用修飾語の位置を変えると 例1 × 太郎は起きる【早く】 例2 △ 【静かに】山田さんは歩く 例3 × 山田さんは親切だ【とても】 例1,例3のような文の場合は、詩など特別な効果をもたらすような場合は別ですが、 通常は非文となります。ただ、例2のように前にある場合は、間違いとは言えず、 この点をある程度は流動的としています。 4・修飾語は被修飾語に先行する 以上のことを踏まえて、日本語の修飾語(形容詞や形容動詞)は名詞の前にくることが日本語の基本的な語順のルールであることがわかります。 また、下線部Aの前の文に「日寒い」「猫うちの」と被修飾語「日」「猫」が修飾語「寒い」「うちの」の前にある誤った表現があることからも、選択肢4が正答となります。 |
| p.7 | 問題4 問2について、回答の解説も読み、正しい解答は語基ということはわかったのですが、自立語と語基の違いがよく理解できません。恐れ入りますが、違いをご教示頂けないでしょうか。 よろしくお願いいたします。 | 語基という用語は、ある語がどのような要素で成り立っているのかという語構成の観点から見た場合に用います。問題4の文章に沿って言えば、「たんす株」とか「ネット会議」を、それ以上の単位に分けようとすると、それぞれ「たんす+株」、「ネット+会議」となります。このように分けた「たんす」「株」「ネット」「会議」を見ると、それぞれ単体でも単独で語が作れます。つまり、「タンス株」「ネット会議」における「たんす、株、ネット、会議」は、語を作ろうとする上でいずれも中核的意味を持った要素=語基であると言えます。語基は、何らかの語を構成するときにはなくてはならないものです。したがって、語構成によっては、語基1つで成り立つ語(「風邪」「しかし」等)もあれば、語基2つ以上で成り立つ語(複合語)、あるいは、接辞を伴って成り立つ語(派生語)という組み合わせが考えられるわけです。今回の問2は、「Xを2つ以上組み合わせた」「Xに接辞が結びついてできた」ということですから、「語基」を正解として選ぶことになります。 自立語は、品詞の中で、独立して用いることができる自立語と、自立語に付属しなければ使えない助詞や助動詞のような付属語との関係で用いられる用語です。つまり、すでに語として成立しているものを1つの単位としてとらえますから、その中身がどういう要素で構成されているかということではありません。すなわち「自立語に接辞が結びついて」という言い方はありえませんから、問2の解答としてこれを選ぶことはできないのです。例えば、「タンス株」は品詞上は名詞であり、自立語であるといえます。そして語構成を見ると、タンス・株という2つの語基から成り立つ複合語であるといえるわけです。 |
| p.21 | 問題10 問3について、解答に書かれているカテゴリー評価及び項目評価がよくわかりません。それぞれテストの評価方法かと思いますが、解答よりももう少し具体的な例でご説明頂けないでしょうか。よろしくお願いいたします。 | カテゴリー評価とは解説にあるように、文法や語彙などの項目よりも大きな単位の観点からの評価を行うもので、評価スケールを立てて評価します。 これは文章力を測るテストであれば、文法、語彙などの項目ではなく、例えば選択肢2にあるように「語彙や表現の適切さ」という項目を置き、そこで使用されている表現(文法、語彙)が文章の種類に合った適切なものになっているか、また読者の理解の妨げになっていないかといった観点で、例えば1-5の評価スケールで評価していく、といったイメージです。 NAFL 22巻 p.51-53では口頭表現テストの例になってしまいますが、口頭表現を評価する際の評価用紙が載っています。こちらには「カテゴリー評価」という用語は出てきませんが、記載されているものがカテゴリー評価にあたるものになりますので、その中にある評価内容や評価スケールをぜひご確認ください。 一方、項目評価というのは解説にあるように個々の項目に対する評価のことですので、カテゴリー評価にあった「語彙や表現の適切さ」などの言語運用の面からの評価と違い、文法、語彙といった個々の言語要素が正しく使えているかを評価する方法になります。正しく使えているかを評価するため、「1-5の評価スケールで評価する」、といった評価方法ではなく、正しければ加算、間違っていれば減点といった評価が用いられます。 |
| p.26 | 問題12問2について 「手紙を出しに行きます。」「コーヒーを飲みに行きます。」「日本語を勉強しに行きます。」「ざっしを買いに行きます。」「コンピューターを勉強しに来ました。」の文の学習ですが、これは代入ドリルではないのですか?「行きます。」を「行きません。」「行きました。」のように変換はさせていないので、変換ドリルではないと思うのですが・・・ 解説の「名詞のときは、N+の+N+に+行きます」の例は「日本の学校に行きます。」などでよいのでしょうか? | 変換ドリルとは解説にもありますように、 文法的に一部変化させるのが変換練習になります。 下から3行目「学校、日本語勉強します、行きます。」という教師からのキューに対して、 「します」をマス形に変換させて「日本語を勉強しに 行きます。」と 「します」を「ます形」と文法的に変換させて答えている部分です。 ご質問にある例で言いますと「出しに行きます」「飲みに行きます」の部分も 「出します」→「出し」、 「飲みます」→「飲み」と、「ます形」と文法的に変換させていますので、変換練習になります。 代入練習は、 「コーヒーを飲みます」「ジュースを飲みます」「ビールを飲みます」のように、 形を変えずに他の語を代入して練習する方法です。 また、解説の「名詞のときは、N+の+N+に+行きます」の例についてですが、 こちらでは「に」を目的の用法で使っているので、目的を表す例文にしなければなりません。 (日本の学校に行きます、の「に」は動作の移動の場所を表す「に」です。) 例えば「サッカーの練習に来ました。」「工場の見学に行きます。」などで、 解説にもある学習者Eの質問「コンピューターの勉強しに来ました、だめですか」 に対しては、「コンピューターの勉強に来ました」としなければならないことを 説明すべきでしょう。 |
| p.26、32 | 1,問題12の問2に関する質問です。 ・正解は3項となっていますが、4項ではないでしょうか? (絵を見せながら)等の差し替え練習は代入練習に当たると思います。 ・正解を3項とすると、変換ドリルを行っていることになりますが、どの部分が変換ドリルに相当するのでしょうか? 2、問題15の記述問題に関する質問です。 ・「みたいに」は「みたい」というナ形容詞の連用形と思います。 ・「みたく」は「みたい」をイ形容詞として活用してしまったためでしょうが、「みたく」を副詞として捉えることは間違いでしょうか? ・即ち、「違かった」は動詞と形容詞との混同で、「みたく」は形容詞と副詞との混同と説明することはできないかと言う質問です。 | 1.問題12の問2について 変換ドリルと代入ドリルの違いと、練習のどの部分がこれらのドリルにあたるかというご質問ですね。問2の問題の答えは解答通り、4ではなく3です。つまり、当該授業の中では代入ドリルではなく、変換ドリルが実施されているということになります。 変換ドリルとは解説にもありますように、文法的に一部変化させる練習をいいます。この練習をしているのがp.24下から3行目の部分です。当該箇所では「学校、日本語を勉強します、行きます。」という教師からのキューに対して、「します」を「~に行きます」に当てはまるようにマス形に変換させています(与えられたキューが「します」とマス形なので変換していないようにも感じられるかもしれませんが、活用を考えなければならないこと、また「します」の「ます」部分をとって「し」としなければならないことから「変換」といえます)。このように与えられたキューをそのまま文に当てはめるのではなく、文法的に一部変換しなければいけない練習は変換ドリルと呼ばれます。 一方、代入練習は与えられたキューをそのまま文に当てはめるタイプの練習です。「コーヒーを飲みます」「ジュースを飲みます」「ビールを飲みます」のように、形を変えずに他の語を代入して練習するわけです。今回の授業記録の中ではこのような代入ドリルは見受けられません。 したがって当該授業においては代入ドリルではなく、変換ドリルが実施されたということができます。 2.問題15について 「みたいだ」は品詞としては助動詞ですが、そのなかでも「ようだ」「そうだ」のようにナ形容詞と同じように活用する形容動詞(=ナ形容詞)型の助動詞です。ご指摘のように「みたいに」というのは用言に続くときに使われる形ですから連用形ということになります。 ご指摘のように「みたく」という表現は「みたい」をイ形容詞として活用してしまったための誤用といえます。正確にいえば助動詞のイ形容詞型として活用してしまったわけです。 「みたく」は「副詞」と捉えることはできるのかというご質問ですが、これは「できない」というのが答えになります。副詞というのは「ゆっくり」「とても」のように活用のない自立語で用言を修飾するものですから、形容詞や助動詞のように活用のある付属語は「副詞」にはなり得ません。 イ形容詞は用言を修飾する場合に「美しい」を「美しく」、「楽しい」を「楽しく」のように「~い」という部分を「~く」に変換します。これはイ形容詞から副詞になったようにも見えますが、「美しい」というイ形容詞の連体形から「美しく」というイ形容詞の連用形になっただけで品詞が変わったわけではありません。つまり「みたい」についても「みたく」としてしまったのは「みたい」をイ形容詞の連体形と捉え、「みたく」という連用形を作ったという説明になるわけです。 以上のことから、「みたいに」を「みたく」としたいう誤用は「形容詞と副詞との混同」ではなく、「助動詞のイ形容詞型とナ形容詞型との混同」といえます。(「違かった」は動詞とイ形容詞の混同という捉え方で合っています。) |
| p.29 | 問4 行動主義と行動中心主義はどう違いますか? 行動主義は教師主導でミムメム練習やパーターンプラクティスなどが中心なので結果学習者が話せるようにはならないと批判され認知主義→構成主義へと進んでいったと理解しているのですが。解答には「Can-doは学習した言語が実際に使えるか否かが重視される」とありまが、これは行動中心主義の考え方になるのですか? | 行動中心主義は行動主義とは異なる概念です。行動中心主義は問題でも取り上げられていたように、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)の概念的基盤となった考え方です。一方、行動主義はオーディオ・リンガル・アプローチの理論的背景となっている教育理論で、心理学のアプローチの一つです。英語では、行動中心主義(行動中心アプローチ)はThe action-oriented approach、行動主義はBehaviorismとなり、全く異なる用語であることがわかります。 以下で詳しく説明いたしますね。 行動中心主義は、上でもご説明したように、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を作成する際に採用された考え方です。行動中心主義の考え方においては、語学学習は、「言語を使って特定の行動ができること」が目的とされます。言語学習者を社会的に行動する人(social agents)と位置づけ、与えられた条件や環境のもとで何かを遂行することが求められているとみなすわけです。語学学習においては、文法や文型を一つずつ学んでいくことに重きが置かれがちですが、行動中心主義の考え方を基にした語学学習では、文法が先にあるのではなく、「自己紹介ができること」「店で何かを買うことができること」など、ある「行動」ができることを目的としてそのために必要な文法や語彙を学んでいきます。 一方、行動主義は、オーディオ・リンガル・アプローチの理論的背景となっている考え方で、「学習がどのように成立するか」についての捉え方を示した教育理論です。行動主義の考え方では、一定の刺激に対して、一定の反応が生じるように習慣形成をすることで「学習が成立する」と考えます。つまり、この行動主義の考え方を理論的背景に持つオーディオ・リンガル・アプローチでは、「教師の指示(=刺激)に対して即座に答えられる(=反応)ようになるまで、練習を繰り返し行う(=習慣を形成する)こと」が「学習」にとって必要であると捉えるのです。そして、このような習慣形成のために開発されたのが、パターンプラクティスであったりミムメム練習であったりするわけです。ご指摘のように、オーディオ・リンガル・メソッドはその後、認知主義の立場から批判を受けるようになり、やがて教育のパラダイムは構成主義、社会的構成主義へと変遷していきます。 以上、行動中心主義と行動主義は用語がとてもよく似ていて混同しやすいですが、 全く別の概念だということを覚えておきましょう。 |