NAFL19巻 よくある質問
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該当ページ | 質問 | 回答 |
p.44 | 「きのう、私の友達が私のうちへ来ました」は間違いですか。 (談話の中の省略について) | これは文法的に正しいかどうかという問題ではなく、実際にネイティブの日本人がこんな言い方をするかどうかという問題です。 「きのう、私の友達が私のうちへ来ました」という日本語を実際の会話で口にすることがあるでしょうか。 日曜日、高校時代の友人が訪ねてくれました。月曜日、「週末は?」と知人に聞かれたら、「私の友達が私のうちへ来ました」と言うでしょうか。 「友達がうちに来ました」「友達がうちに来てくれました」「友達がうちに来たんです」というのがふつうで、「私の友達」「私のうち」とは、わざわざ言わないでしょう。 もう一つの例文、「あなたの友達は日本人ですか」も見てみましょう。これは「あなたの」がひっかかるところです。「あなた」という呼び方は、いつ、どんな相手に使うでしょうか。テキスト14巻「日本語の語彙・意味」の41ページにも記述がある通り、英語のyouの訳語として、変に慣れてしまいましたが、「あなた」という呼び方は、 目上の人に使うと失礼ですし、友達にもあまり使わないと思います。では一般的に、聞き手を何と呼ぶかというと、名前や肩書きなどで呼ぶのです。例えば英語のyour friendを訳すなら、「先輩のお友達って」「社長のご友人は」「山田くんの友達が」「お母さんの友達」など、文脈によってさまざまに訳し分けなければなりません。 テキストで述べているのは、文型の練習としてなら良いが、実際のネイティブはどのように話しているのか、それを教え、練習していくのが話し方の教育だ、ということです。 |
p.72 | 「地の文が多いテキスト」という説明が「会話の多いテキスト」と対比されて説明されています。 地の文とはどんな文なのでしょうか? |
「会話の多いテキスト」と対比されているように、「地の文が多いテキスト」とは「会話の少ないテキスト」ということです。例えば、論文や意見文のようなものをご想像していただければと思います。意見文でも、エッセーやコラムのような比較的カジュアルな文体の文であれば、会話の文も出てくるかと思いますが、論文には(引用は別ですが)会話は出てきませんし、新聞記事にもほとんど出てこないでしょう。 これらの文を理解するには音読をするよりも、じっくりと黙読したほうが、理解が深まることはご自身でも実感できるかと思います。このような文をこちらでは「地の文が多いテキスト」とよんでおります。 |
p.92 | 分かち書の単語式・文節式・折衷式について 単語式は品詞ごとに分けて書く、文節式ら文節に分けて書く、折衷式は単語式と文節式を合わせて書くとあります。この折衷式とは、どういうものなのでしょうか。文節式「勉強 しています」が折衷式だと「勉強しています」になるとのことですが、折衷式は、分かち書きをしない形の文章ということなのでしょうか。 |
折衷式というのは、「単語式・文節式において分かち書きをするべき語でも、場合によってはつなげて書く方法」のことです。 この「場合によっては」というのがどの場合かというと、例えば「勉強しています」の「います」という補助動詞のように、「語としての独立性が弱い」語を表記する場合です。他にも、「痛くなる」の「なる(補助動詞)」、「壊れやすい」の「やすい(補助形容詞)」、「食べること」の「こと(形式名詞)」などがその例で、単語式、文節式で表記しようとすると、「痛く なる」「壊れ やすい」「食べる こと」となりますが、「なる」「やすい」「こと」などの語が語としての独立性が低いために、分かれて書かれていると逆に意味が取りにくいという側面があるため、このような独立性が低い語に関してはつなげて表記するという方法が出てくるわけです。 他にも「~(て)おく」 「~(て)ある」 「~(て)みる」 「 ~(て)くれる」「 ~(て)しまう」「~(て)いく」「 ~(て)くる」「~(て)あげる」「~にくい」(例:食べにくい) 「~とき」「~のため」 といった表現が単語式・文節式での表記であってもつなげて書かれることが多いです。 以上の表現は、日本語教育においては、「文型」としてまとまった表現として教えることが多い表現です。ですから、日本語教育の場合はどのような学習者を対象にしているのかによって、 個々にルールを定めていくことが必要になってきており、日本語レベルが高くなれば分かち書きをしなくなっていきます。その点は、テキストp.57にも述べられておりますので、 併せてご確認ください。 |
p.95 | 「トップダウン処理」「ボトムアップ処理」とは何ですか。 | ボトムアップ処理は書いてあるものを一つ一つ読み、分からないものは辞書で調べ、分からない文型も調べながら読み進めていく方法です。つまり、文章の底辺から理解しはじめ、最後に目的である全体を把握することを目指します。例えば英語の勉強を始めたばかりの人が英字新聞を読むときはどのように読むでしょうか。恐らく一つ一つ単語の意味を調べながら、構文の意味を確認しながら読んでいくでしょう。それは一つ一つの文の理解はできるかもしれませんが、文章全体の意味があまりよく分からない、ということがあるかもしれません。 しかし、例えば、私たちが日本語で書かれた新聞を読むときはどうでしょうか? 一つ一つの単語の意味を考えながら読む、ということはないでしょう。当然、語彙や文型の知識が豊富だからとも考えられますが、それだけではありません。一つ一つ読まなくても、だいたい次に来る内容が予測できたり、どこが重要な部分かを判断できるからです。分からない言葉があって、それを読みとばしても、文章全体の内容理解には差し障りがないことが多いでしょう。このように推測しながら読んでいく読み方をトップダウン処理といいます。既有知識というと、身に付けた語彙や文型も含まれますが、それに加え、その書かれた内容の社会や文化に関する知識のことも含まれるとお考えください。 |
p.102-103 | 「逐語読み」と「精読」は同じですか。 | 「逐語読み」と「精読」は同じものではありません。 まず、「逐語読み」ですが、これは一語一語意味を確認しながらたどって読むというやり方です。例えば、ぱっと見たところ、内容理解の手掛かりがほとんどつかめないような外国語の文を、辞書を引きながら、一語一語意味を調べ、文法構造を分析して、何とか読んだ、というような場合は「逐語読み」です。この読み方では、文章全体の意味の流れや、先を予測しながら読むというようなことには注意が向けられません。書かれたテキストの視覚的情報にもっぱら頼ってしまうので、このような読み方がくせにならないよう注意する必要があります。 一方、「精読」は、綿密に文の持つ情報の細部まで理解する読み方で、ゆっくりでも、正確に読むことを目的としている点で、読みの質が問題となります。実際の言語活動の中でも、契約書や法律の条件を読んだり、個人的な手紙や文学作品などを読む場合に、「精読」はしばしば行われます。 |