NAFL13巻 よくある質問
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該当ページ | 質問 | 回答 |
p.38 | <タスク12> 「常用漢字表」の中には、字音の示されていない漢字が76あります。 ------------------------------------------------------- 「常用漢字表」の中の字音が示されていない漢字(音訓列がひらがなー訓のみ)を確認しましたが、77ありました。テキストの回答には「浦」が入っていなかったのですが、これは含めないものなのでしょうか? |
ご指摘の通り、「浦」は、字音のない漢字に含まれます。 「浦」については、2010年(H22年)「常用漢字表」に修正があり、 こちらから「ホ」という字音が削除されております。 また、「畝」についても、 「せ」という訓読みも削除されており、現在は「うね」という読みにのみ となっております。 従いまして、合計77字ということで間違いありません。 |
p.53 | 〈タスク22〉の解説を読みましたが、理解できません。 解説についてお教えください。 母音の無声化→どういう意味ですか? 促音化していないからです→どういう意味ですか? 「き」「く」がすでに促音化している→どういう意味ですか? |
解説にある「母音の無声化」とは、「無声子音に挟まれた狭母音/イ/ /ウ/が、声帯振動を伴わなくなる現象」ということですが、例えば、「です」「ます」の「す」、「かし」「はし」の「し」、「きく」「くさ」「しかく」「ひかり」「ふとい」「いく」「いきる」の最初の文字(「き」「く」「し」「ひ」など)は無声化され、はっきりと聞こえずささやき声のようになりやすい音です。 ご自身で「今日雨です。」など、「です」「ます」の発音をしてみると、お分かりになるかもしれませんが、最後の「す」は、母音が消えゆくような音になるかと思います。 このような現象が「無声化」です。 「促音化」とは、「洗濯機」の「せんたくき」が「せんたっき」、「三角形」の「さんかくけい」が「さんかっけい」となるように、sentakukiの母音/u/「ウ」、Sankakukeiの母音/u/「ウ」が脱落して、促音となっていることを促音化と言います。 この解説の、「無声化にとどまり、促音化していない」という点ですが、「無声化」は、「声帯振動を伴わないので、母音が聞き取りにくい、ささやき声のようになる現象」ですが、「促音化」とは、上記の説明のように「母音が脱落してしまっている現象」という違いがありますので、表記に違いが現れるのです。 無声化については、『日本語の音声Ⅰ』p.78、『日本語の音声Ⅱ』p.77-78促音化については、『日本語の音声Ⅱ』p.78-79にも載っており、音声も聞くことができますので、こちらもご参考になさってください。 |
p.54 | タスク23のすぐ上2行の言葉について教えてください。 「いきどおる」から「もよおす」まで15個の言葉が紹介されています。 これらは、すべて歴史的仮名遣いの「ほ」を使う事例のように思いますがどうでしょうか? 歴史的仮名遣いの「を」の事例にはどんな言葉がありますか? |
歴史的仮名遣いの「を」の事例についてですが、p.54にある、15個の言葉とその上の書いてある7つの初級の言葉、合計22個で全てです。 こちらは、文化庁『現代仮名遣い』本文 第2(表記の慣習による特例)にも載っております。 https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gendaikana/honbun_dai2.html こちらにも「これらは,歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって,オ列の長音として発音されるか,オ・オ,コ・オのように発音されるかにかかわらず,オ列の仮名に「お」を添えて書くものである」と説明があります。 オ列長音は、オ列の仮名に「う」を添えるのが通例ですが、例外がこちらの言葉になり、初級は特に長音の発音、表記が難しいため、こちらのテキストでは初級の言葉だけを先に7つ示しております。 |
p.58 | 「時計」の発音は、「トケイ」ではなく「トケー」が正しいのですか (エ段長音について)。 | 発音の仕方は個人差はあると思いますが、「現代仮名遣い」の「付記」にあるように、多くの人が[トケイ]ではなく[トケー]と長音化しているものと思われます。表記と発音のずれが違和感を感じさせるかもしれませんが、イ段、エ段ともに表記では「い」を用いて長音の音を表します(「おねえさん」等の例外あり)。実際に「時計」だけではなく例えば「ちょっとその時計、取って」「今何時? 時計みせて」というように言ってみると「時計」が[トケー]と発音されているのがお分かりになると思います。 |
p.62 | 「活用語尾を送る」とはどういうことですか。 | 活用語尾というのは活用形で変化する部分のことです。例えば「書く」でしたら、「書か(ない)・書き(ます)・書く・書く(とき)・書け(ば)・書け」と活用しますが、変化する部分「か・き・く・く・け・け」を活用語尾と呼んでいます(日本語教育ではあまり「活用語尾」という言葉を用いることはありません。国語教育で出てくる言葉です)。 どうして活用語尾を送るかを、例えば「催す」で考えてみましょう。 もよ A 催おす:催おさない 催おします 催おす 催おすとき 催おせば 催おせ もよお B 催す :催さない 催します 催す 催すとき 催せば 催せ もよおす C 催 :催ない 催ます 催 催とき 催ば 催 Aでは活用語尾ではない「お」から送り仮名として送っています。しかし、活用を見るとどれも「お」があり、少々煩わしい感じがします。 逆にCは活用語尾を送り仮名として送っていません。すると「催」だけで「もよおさ」「もよおし」「もよおす」「もよおせ」という読み方が出てきてしまい、紛らわしくなってしまいます。 このようなことを避けるため、Bのように活用語尾を送り仮名として送る(つまり送り仮名としてひらがなで書く)ことが通則として挙げられているようです。 |
p.62 | 動詞の送り仮名について 活用のある語は、活用語尾を送るとあります。五段活用の動詞については分かりますが、上一段活用と下一段活用のときの活用語尾の送り方がよく分かりませんでした。「生きる」は「いきーる」で「る」が活用語尾だと思っていました。そうすると「生る」と書くことになるはずなので、「生きる」の活用語尾は「きる」ということなのでしょうか。 |
活用語尾というのは活用形で変化する部分のことです。例えば「書く」でしたら、「書か(ない)・書き(ます)・書く・書く(とき)・書け(ば)・書け」と活用しますが、変化する部分「か・き・く・く・け・け」を活用語尾と呼んでいます。したがって「書かない」「書きます」のように活用語尾から送るわけです。 動詞「生きる」は「生き(ない)、生き(ます)、生きる、生きる(とき)、生きれ(ば)、生きろ」のように活用語尾が「き」「き」「きる」「きる」「きれ」「きろ」と活用します。そのため、「生きる」「生きろ」のように送り仮名をつけます。 「生きる」では、変化しない部分は「生き」のように思われますが、「生(い)」が語幹であるとされます。これはもともと、「生きる」が古典語では「生く(いく)」という形であったことに起因しています。動詞「生く」は、生き-ず、生き-たり、生く、生くる-とき、生くれ-ば、生きよのように「き」「き」「く」「くる」「くれ」「きよ」と活用しました(アイウエオのうちの上の方の二つの段で活用するので上二段活用と言います)。 この場合には、変化しない部分は「生(い)」(厳密には[ik])であるといえます。古典語で上二段活用だった動詞は、江戸時代には上一段活用か五段(四段)活用に変わります(理由は、言語体系の合理性を高めるためですが、詳しい説明は省略します)。 つまり、このような歴史的理由によって、文語文法を現代語に適用した口語文法では、文語文法と同じように「生きる」の語幹を「生(い)」であると見なすのです。従って、送り仮名をつけるときには「生きる」のように送ります。 下一段活用の例で示された「考える」も同様です。「考える」は、「考え(ない)、考え(ます)、考える、考える(とき)、考えれ(ば)、考えろ」のように、活用語尾「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」と活用し、「考える」の語幹は「考(かんが)」であるということになります。これは、文語文法の下二段活用「考(かんが)ふ」の語幹が「考(かんが)」 とされたことに関係しています。従って、送り仮名をつけるときには「考える」のように送ります。 |
p.62 | 上記ページの最後の2行に、「語幹と活用語尾の区別がつかない動詞は、例えば『着る』、『寝る』、『来る』などのように送る」とあります。」と記されています。 しかし私には、これらの動詞の語幹と活用語尾は明確に区別できるように思えます。「着る」の語幹は「着」、「寝る」の語幹は「寝」、「来る」の語幹は「来」と思えます。この見方がどうして間違いなのでしょうか。 |
まず語幹、活用語尾について確認します。語幹とは、動詞・形容詞・形容動詞などの活用のある語で、活用させても変化しない部分のこと、活用語尾とは活用させたときに変化する部分をいいます。例えば、「切る」という5段活用の動詞の活用を見てみると 未然形 切ら(ない) 連用形 切り(ます) 終止形 切る 連体形 切る(とき) 已然形 切れ(ば) 命令形 切れ となり、どの活用でも変わらない部分は「切(き)」という部分ですから、語幹は「切(き)」となります。一方、活用語尾は括弧付けになっている、(ない)、(ます)(とき)(ば)より前の部分で語幹でない部分を指しますから、活用語尾は「ら・り・る・る・れ・れ」という部分になります。このように、~形と呼ばれる活用は、語幹と活用語尾から成り立っており、()に入る(ない)、(ます)(とき)(ば)は活用語尾には含まれません。この点を踏まえ、「着る」という上一段動詞を見てみます。 未然形 着(ない) 連用形 着(ます) 終止形 着る 連体形 着る(とき) 已然形 着れ(ば) 命令形 着ろ このように見ると全活用で変わらない部分は「着」ですから語幹が「着」であるように思えます。しかし、(ない)、(ます)(とき)(ば)の前部分に語幹と活用語尾があるはずであると考えると、未然形、連用形においては「着」という部分が語幹でもあり活用語尾でもあると考えることになります。そのため、「着る」は「語幹と活用語尾との区別がつかない動詞である」ということになります。「寝る」が「語幹と活用語尾との区別がつかない動詞である」のも同様の理由です。「来る(くる)」に関しては、 未然形 こ(ない) 連用形 き(ます) 終止形 くる 連体形 くる(とき) 仮定形 くれ(ば) 命令形 こい となり、全ての活用に共通する語幹がありません。そこで「来る」という動詞に関しても、「語幹と活用語尾との区別がつかない」と判断されるのです。 |
p.70 | 転生名詞の送りかなについておたずねします。 本文には、ない例です。 「貸し出し」 「借り受け」 の送りかなですが、上記は、仮名入力したら変換されましたが、「貸出」「貸出し」、「借り受け」または「借受け」などでもよいように感じますが、正解はどれでしょうか。 |
「貸し出し」「借り受け」いずれも、「貸す」+「出す」、「借りる」+「受ける」という二つの動詞から構成されております。ですから、まずそれぞれの動詞の送り仮名の通則に従うのが基本です。 動詞の送り仮名の本則は「活用語尾を送る」です。「貸す」は5段活用ですから連用形は「貸し(ます)」、「出す」も5段活用ですから終止形は「出す」になり、動詞として使う場合は、「貸し出す」が基本の送り仮名です。「借り受け」も同様に考え、動詞として使う場合は「借り受ける」が基本の送り仮名です。これらの動詞が名詞として使われる場合も通則に従った「借り受け」「貸し出し」が基本とお考えいただくのがよいでしょう。 ただ、「借受け」「借受」「貸出し」「貸出」も実際にあります。それは、「許容」として述べられている内容で「読み間違えるおそれのない場合は、送り仮名を省くことができる」のです。 テキスト13巻p.73にある、「申し込む」「乗り換える」と同様とお考え下さい。それぞれ「申し込み」「乗り換え」という名詞があり、「申込み」「申込」、「乗換え」「乗換」は許容です。つまり、動詞に関するものは読み間違えるおそれがないとして、省くことができ、一部省いても、すべて省いても構いません。どれも間違いではありません。 ただ、指導の際には「どれでもいい」では学習者も混乱してしまいますので、テキストp.75にもあるように、「本則」や「例外」に従い、「許容」は「このような書き方、読み方もある」という紹介程度にとどめておくのがよいでしょう。 |
p.71 | 〈タスク29〉の問題文について教えてください。 「例文をそれぞれ・・・」とあります。 この場合、文章のことだと思ったのですが、解答をみたら主語と述語のある文ではありませんでした。 「文」とはどのような定義なのでしょうか? |
何を「文」とするのかは、研究の立場によって様々ですが、日本語教育学会編『日本語教育辞典』では以下のように定義されております。 先ず文を構成する「文の成分」については以下になります。 「文の内部にある大小様々の部分が、意味的機能的に一まとまりとなって、あるいは単独で、あるいは他の部分と関係を結びながら文を構成する場合、それらの部分を文の成分という。」 その例として以下の3つを取り上げ、以下のような説明があります。 ① 自動車! ② 花よ! ③ 花が咲いた。 ①については、「自動車」という一語が一文節を成し、②については、「花」という語に「よ」という接辞が結合して一文節を成しています。③については、「花」「が」で一文節、「咲い」「た」でそれぞれ一文節を成し、二つの分節が文の成分となって一文が構成されているのです。 つまり、文節が文を構成する最小の単位であると、『日本語教育辞典』では述べておりす。「主語と述語が備わったもの」という文の定義は、ヨーロッパにおいて古くからなされているものですが、この考えが日本語の文の定義にも影響を与え、上記の考えとはまた異なった定義づけをしている研究者もあります。 本書では上記の定義にそって、文をとらえております。 |
p.76 | 〈タスク31〉について 解説を読みました。 「あと」「のち」という字訓もあるので明確に「うしろ」と読むように「後ろ姿」とするとありましたが、このような場合は「字訓」だけで考えればいいのですか?「後」は、「ゴ」という「音訓」もあると思うのですが、考慮は不要でしょうか? 他の語の時も「字訓」だけで考えればいいのですか? 他の事例が思いつきません。あれば教えてください。 |
「後ろ姿」は複合の語で、「活用のない語」ですので、送り仮名はp.73「5-9 複合の語の送り仮名」の「(2)活用のない語」(通則6)のルールに従ってふることになります。「(2)活用のない語」の一覧の下にあるように、活用のない語の送り仮名は「それぞれの漢字の音訓を用いた単独の送り仮名の付け方にそろえる」ということになります。ただし、さらにその下に説明があるように、読み間違えるおそれのない場合には送り仮名を省くことができるという許容のルールがあります。 また、送り仮名がなくてもよいこの例外については、さらに通則7として詳しく説明されていますので、そちらもご確認ください(「5-10 複合の語の送り仮名―通則7によるもの―」74-76ページ)。 ご質問の「後ろ姿」の場合には、まず「うしろ」というのは通常「後ろ」と表記しますから、「後ろ姿」と表記することになります。もし、読み間違いのおそれがなければ「後姿」としてもよいことになりますが、「後」に関しては「あと」「のち」という読み方、またご指摘のように、「後」は「ゴ」という音読みもありますから、これについても考慮に入れ、送り仮名をふることになります。このように、読み間違いを防ぐために送る送り仮名の例は、「斜め左」(「斜」を「シャ」と読むことを防ぐ)、「独り言」(「独」を「ドク」と読むことを防ぐ)などがあります。 「(2)活用のない語」を見て頂ければ他にも例がたくさんありますので、ぜひ確認してみてください。 |
p.77 | ポイントチェックの「②捕まる」についてお教えください。 これは、何という2つの語が複合したのでしょうか? |
ご質問の「②捕まる」というのは「2つの語が複合した例」として出されたのではなく、動詞の送り仮名の例外として取り上げられた動詞です。動詞の送り仮名は通常「活用語尾を送る」というルールになっていますが、p.63の5行目から説明があるように、このルールには例外があり、 その一つが「捕まる」というわけです。 「捕まる」は本来「つかま-らない」「つかま-ります」「つかま-る」「つかま-れば」「つかま-ろう」と活用し、活用語尾は「ら・り・る・れ・ろ」となり、「捕らない」「捕ります」「捕る」「捕れば」「捕ろう」と送ればよいことになりますが、このように送ると、同じ漢字を使った別の動詞「捕(と)る」との区別がつかなくなってしまうため、活用語尾前から送ることになっているのです。 |
p.92 | 「ヘボン式では、撥音はpb mの前ではmと書き表します。」とあります。 この3つの前だけ m なのは、何か理由があるのでしょうか? |
こちらは、発音と関係があります。[p][b][m]はいずれも両唇音、つまり発音するときに上下の唇を合わせて発音させます。それらを発音させた後、撥音「ん」を発音させようとすると、唇は閉じたままで息を鼻に抜くようにして「ん」を発音させています。この、唇を閉じて鼻から出す(両唇音鼻音)「ん」は英語の[m]の音なので、m という表記になります。 ローマ字の表記には、訓令式とヘボン式があります。訓令式は日本語母語話者が、日本語を書くために日本語らしい書き方にしていますが、ヘボン式は英語母語話者が、日本語を読むために作られたものなので、英語の書き方を参考にした書き方になっていますので、このような書き方になっています。 |
p.134 | [8]旧表記では、「塔のセンタン」と「列のセンタン」を書き分けていましたが、新聞での表記はどうなるでしょうか。 という問題が何度考えてもわかりません。テキストの何ページを見たらわかるでしょうか? |
旧表記では、「塔のセンタン」は「尖端」、「列のセンタン」は「先端」と書き分けていました。しかし、現代表記では「塔のセンタン」も「先端」という表記をするようになりましたので、この以前は書き分けられていた「尖端」と「先端」はどちらも「先端」になりました。そのため、正解は、選択肢D『「塔のセンタン」も「列のセンタン」の旧表記と同じ漢字書きにする』となります。この点については、第3章第3節、「3-16 同音類義語の使い分け」に言及があります(p.42 〈タスク16〉の上の2つの段落)ので、確認してみてください。 |
p.135 | 実力診断テスト〔11〕「現代仮名遣い」の説明 回答の選択肢として、大きく二つに分かれていて、 1.「現代の日本語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示している」 と 2.「現代の日本語を書き表すための仮名遣いののっとるべき規則を示している」 とあって、回答は1側(実際の回答はA)になっています。 本件に関連する参照箇所として、テキストp.48(第4章第1節)下から3行目には、以下の文章があります。 -------------------------------------------------------------------------------------- 「現代仮名遣い」は、現代語音に基づいて現代語を仮名で書き表すときの★準則です。 ★準則 のっとるべき規則のこと。また、規則にのっとることもいう。 -------------------------------------------------------------------------------------- 従って本問題の回答としては、「仮名遣いのよりどころを示している」ではなく、「仮名遣いののっとるべき規則を示している」のほうが正解に思うのですが、違うのでしょうか? 違うのであれば、上で「準則」という表記を使わないほうがよい(混乱しない)ように思います。 |
この問題は、p.49「現代仮名遣い」の「前書きの2」に基づき、正解は「よりどころ」という言葉で表しています。ただ、「のっとるべき規則」も「よりどころ」も選択の基準としてはあまり変わるものではないのでどちらが正しいか選別するのは難しいと思います。むしろ、「若干の特例を設けている」「多くの特例を設けている」「特例を設けていない」 を基準に選択するのが得策だといえます。「現代仮名遣い」では「一定の特例」という表現となっていますが、特例として挙げているのは、日本語の語彙から見れば多くはありません。 また「準則」と「よりどころ」についてですが、昭和21年の内閣告示「現代かなづかい(p.48)」では「準則」となっていたものが、昭和61年の「現代仮名遣い(p.49)」では「よりどころ」となったのですが、これをどう解釈するかはわかれるところでしょう。 内容的には両者は大きく変わるものではありませんから、これを単なる改訂版ととるか、「準則」ではなく「よりどころ」になったのだという点をとりたてて評価するのか、恐らくテキストの著者は前者ととり、そのような書き方になってしまったのだと思われます。 「よりどころ」というのも何とも曖昧ですが、ここで大切なのは、内閣告示によって国民の私的な(「個人」対「個人」の)言語活動を規制する意図はなく、「公」対「個人」や「公」対「公」の言語活動にある一定のルールを設けようというものだと思うのです。 個人が私信(手紙やメールなど)でどんな表記をしようが、それは個人の自由です。しかし、新聞社が、社によって、または記者によって「表現の自由だ」とバラバラの表記をし始めては、 国民の不利益になります。そこで、「よりどころ」(気持ちとしては、公に対しては「準則」で 個に対しては「よりどころ」というところでしょうか)という語に変えたのではないでしょうか。 日本語教師を目指す者としては、その教室での言語活動は「個人」より「公」に寄っていると考えるべきかと思います。そうであれば、現代仮名遣いは準則と受け止めても問題ないと思います。しかし、ご指摘のようにテキストに「準則です」と書いてしまっては、いささか語弊があると言えるかもしれません。 |
p.135 | 実力診断テスト13 〔12〕「くちづて」「くちずて」 回答はAで二語の連合ということで「くちづて」とのことでした。 この用語について調べてみました。検索すると文化庁のページ(URLは以下)に以下の文章があります(昭和30年の部会の内容なので古いです)。 https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/03/sokai029/02.html ------------- これまで「づ」と書いたもので,今回「ず」と書くようになったものは,「かたずく」「くちずて」「ことずて」「ひとずて」「たずな」などである。 ------------ また、私の持っている広辞苑(昭和52年版)のものには、「くちずて」は掲載されていますが「くちづて」はありません。なので「現代仮名遣い」(昭和61年)の前は「くちずて」だったものと思っています。 現在の表記が「くちづて」だとすると、「現代仮名遣い」で変更になったのかと思ったのですが、「現代仮名遣い」にそれらしい表現は見当たりません。 いつの時点で「くちづて」に変更になったのか、などそのあたりの経緯について、コメントいただけるとありがたいです。 |
現代仮名遣いでは、原則「じ・ず」で、「ぢ・づ」と書く場合は、特例として「現代仮名遣い」第2の5に書かれています。四つ仮名の問題は、ご指摘の昭和30年の部会の議論から議論は尽きません。当時は複合語であるなどの語源意識が残っている場合は、「ぢ」「づ」を用いるということになっていました。しかし、語源「意識」が残っているかどうかをという点を判断するには、どうしても主観的にならざるを得ないということから批判が続いたのです。その批判的な議論は部会の資料でも確認できます。そして、昭和30年の議論ではご質問にありますように「「かたずく」「くちずて」「ことずて」「ひとずて」「たずな」などである。」がありましたが、その後も議論が続きこれらも個々に検討すると「かたづく」は「付く」、「くちづて」は「伝える」という意味が他と比べて想起しやすいということで、昭和61年に内閣告示としてだされた「現代仮名遣い」では、せかいじゅう(世界中)、いなずま(稲妻)、かたず(固唾)などといった例外には示されておりません。したがって、原則の特例「(2)二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」」が適用されています。 ただ、何年にそうなったのかなど具体的な経緯などについては、議事録には記載されておりませんのでコメントできませんが、「二語の連合である」かどうかという点は、現在研究者の間でも意見が割れております。ですから、「現時点においては」、「くちづて」は二語の連合であると考えておくのが良いかと思われます。 |
p.135 | 実力診断テスト13 〔14〕〔イマワノキワ〕 回答はCで、「イマワ」は現在、名詞なので、「わ」と書く とのことでした。回答解説にある第 4 章第 5 節からはっきりとわからない部分があったために質問します。 「現代仮名遣い」には、以下の記載となっています。 ----------------------------- 2 助詞の「は」は,「は」と書く。 例 <略> [注意] 次のようなものは,この例にあたらないものとする。 いまわの際 すわ一大事 雨も降るわ風も吹くわ 来るわ来るわ きれいだわ ----------------------------- 上記の記載があるため、特に名詞かどうかは関係なく、「イマワ」の最後の部分は明確に「ワ」とすることがわかるように思いました。回答のように「名詞なので」ということが理由であれば、なぜ助詞の「は」の記載をしている中に、[注意]として名詞の表現を入れてきているかが、今一つわかりません。 「イマワ」の「ワ」は、昔は助詞だったものが、現在までに「イマワ」で名詞となるように変化した、ということなのでしょうか? |
現在では「イマワ」で一語と考えており、これで一つの名詞になっております。 ご参考までに、いくつかの辞書の「いまは」の項目を下記に引用いたします。 いまは【今は】 ①もう少しで死ぬという時点。「―の際(=最期、臨終)」 ②「―これまで(=こういうひどい状態になっては到底助かる(ける)見込みが無いとあきらめる様子)」 [表記]①は、「現代かなづかい」では「いまわ」。「今際」とも書く。 (新明解国語辞典 第五版 三省堂 1997) いまわ【今わ、今際】 「今は限り」の意)死にぎわ。最期。臨終。 (広辞苑 第五版 岩波書店 1998) いまわ【今際】 [名]死ぬまぎわ。臨終。「―の言葉」「―の際に言い渡す」 [表記]「今は限り」の意で、「いまわ」の「わ」は元来助詞の「は」であるが、一語意識が強いとして、現代仮名遣いでは「わ」と書く。 (明鏡国語辞典 大修館書店 2002) 一番新しい明鏡国語辞典にありますように、「イマワノキワ」は元来「今は」でした。 ご質問の「なぜ助詞の「は」の記載をしている中に、[注意]として名詞の表現を入れてきているか」という点は、まさに「かつては助詞であったが、現代では一語の名詞に変化した。」というご推測の通りで、現代仮名遣いでは一語意識が強くなったため「いまわ」と書きます。 従いまして、実力診断テスト〔14〕の設問文には現代仮名遣いでの表記を聞いていますので、 解答はCになります。 |
p.136 | [15]「まじる」を「交」で書くときの送り仮名は、次のどれが正しいでしょうか。 という問題で、「まじる」は「交じる」となるので答えはBかCなのではないかと思ったのですが、選択肢Cに『活用のある語は、活用語尾を送るのが基本だが、「まじる」は上一段活用なので、「交じる」と書く。』とあり、まじるの活用は何活用なのかわからなくなってしまったので教えてください。 |
予測されたように「まじる」は「交じる」と表記しますので、BかCということになります。「交じる」の活用ですが、「まじ「ら」ない・まじ「り」ます・まじ「る」・まじ「れ」ば・まじ「ろ」う」とラ行ア段からオ段まで活用していますので、ラ行五段活用ということになります。そのため、「まじる」は上一段活用ではありません。 活用のある語の送り仮名は活用語尾から送るルールになっていますので、「まじる」もこのルールに則れば「交る」となるわけですが、選択肢にあるように「まじる」は「まぜる」と派生関係にあるため、送り仮名を「交る」と書いてしまうと「まじる」なのか「まぜる」なのかがわからなくなってしまいます。そのため、混同を避けるために「交じる」と表記するわけです。 |
p.136 | 実力診断テストの問15について、正解はBとなっています。 しかし、 ・まぜる は 「交ぜる」ではなく「混ぜる」と表記するものではないでしょうか? ・「交じる」が「交ぜる」との派生関係とはどういうことでしょうか? |
まず、「交ぜる」か「混ぜる」か(また「雑ぜる」もありますが)という表記の違いは、漢字の「意味」の問題になりますので、この送り仮名の問題とは、問われている点が異なります。 ちなみに、 「交ぜる」例)老若男女を交ぜる。→まぜたものの区別がつく。 「混ぜる」例)砂糖と卵をよく混ぜる。→まぜたものの区別がつかない。 「雑ぜる」例)外国種のバラと日本のバラとを雑ぜる。→種類をまぜる という使い方の区別があります。 「派生関係」についてですが、派生関係とはもともとは同じ語であると推定できる関係のある語のことです。そして動詞の送り仮名については、まず通則1として「活用のある語は、活用語尾を送る。」が基本になっています。 しかし、上記でのべたような派生関係のある語については、通則2として「活用語尾以外の部分に他の語を含む場合は、含まれている語の送り仮名の付け方によって送る。」としています。この「他の語を含む」や「含まれている語」という部分が分かりにくいのですが、「含まれている語」というのは派生関係にある語のもとになる語とお考え下さい。 つまり、ある語から派生した語であれば、もとになる語の送り仮名を優先するというものです。 例えば、「動かす」と「動く」は派生関係にあり、「動く」がもとの語です。通則1に従うと、「うごかさ(ない)」「うごか(す)」「うごか(せば)」「うごか(します)」となり、「うごか」が語幹になります。通則1に従うと、送り仮名は「動す」「動せば」となりそうですが、通常は「動かす」「動かせば」となります。これは、「動かす」は「動く」という語から派生した語だと考えられ、この場合は通則2「含まれている語の送り仮名の付け方によって送る」というルールが優先され、「動く」の送り仮名に合わせて表記します。「交じる」と「交ぜる」は、派生関係にあり元の語が「交ぜる」ですので、「交ぜる」の送り仮名の付け方に従います。 以下は、文化庁のhpに載っている、派生関係のある動詞です。 (https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/index.html) 〔 〕の語は、元の語ですので、〔 〕の語の送り仮名に従います。 あわせてご確認ください。 〔例〕 (1)動詞の活用形又はそれに準ずるものを含むもの。 動かす〔動く〕 照らす〔照る〕 語らう〔語る〕 計らう〔計る〕 向かう〔向く〕 浮かぶ〔浮く〕 生まれる〔生む〕 押さえる〔押す〕 捕らえる〔捕る〕 勇ましい〔勇む〕 輝かしい〔輝く〕 喜ばしい〔喜ぶ〕 晴れやかだ〔晴れる〕 及ぼす〔及ぶ〕 積もる〔積む〕 聞こえる〔聞く〕 頼もしい〔頼む〕 起こる〔起きる〕 落とす〔落ちる〕 暮らす〔暮れる〕 冷やす〔冷える〕 当たる〔当てる〕 終わる〔終える〕 変わる〔変える〕 集まる〔集める〕 定まる〔定める〕 連なる〔連ねる〕 交わる〔交える〕 混ざる・混じる〔混ぜる〕 恐ろしい〔恐れる〕 最初の質問に戻りますが、 こちらでは「混ぜる」という漢字表記ですが、漢字の使い分けの問題であり、フリガナの問題は「交ぜる」と同様とお考え下さい。(「聞く」「聴く」も同じ例になります。) |
p.96-97 | 数字の書き表し方で、「十・百・千・万…」の総称は、単位「数字」でしょうか。それとも単位「漢字」でしょうか。もしくは、どちらでもよいのでしょうか。 テキストに2通りの表記があり(p.96本文は「単位数字」、p.97の縦書きの表は「単位数字」と「単位漢字」が混在、p.97本文中および索引には「単位漢字」とあります) どちらが適切なのか疑問に思っています。 |
ご指摘の通り、テキストでは「十・百・千・万…」の総称を「単位数字」といったり、「単位漢字」といったりしていますね。他の資料を調べてみますと、「十・百・千・万…」を「単位語」と呼んでいるものもありました。このように見てみますと、「単位数字」「単位漢字」という用語は「漢数字」「アラビア数字」などのように確立した用語ではなく、一般にそこまで浸透していない、使い手によって揺れのある用語であると考えられます。「十・百・千・万…」というのは「(数の)単位を表す数字」(=単位数字)であり「(数の)単位を表す漢字」(=単位漢字)でもあるわけですので、どちらか一つの呼び方に決着をつけなければならない用語ではない、つまり、どちらでもよいと考えて頂ければと思います。 |
p.48、p.135 | 問11に関して。 p.48を見ますと、下から3行目に「準則」と、あるので、問11の答えはDになるとおもったのですが、解答は、Aでした。理由を教えてください。 |
ご質問にある、P.48の「準則」を「のっとるべき規則」として、Dだと思われたかと思われます。 しかし、この問題では、p.49「現代仮名遣い」の「前書きの2」に基づき、「よりどころ」という言葉でも表しています。ただ、前の文「よりどころ」と「のっとるべき規則」では内容的に明確な違いがないために選択の基準とはならず、「若干の特例を設けている」「多くの特例を設けている」「特例を設けていない」を基準に正答を選択するのが得策だといえます。「現代仮名遣い」では「一定の特例」という表現となっていますが、特例として挙げているのは、日本語の語彙から見れば多くはありません。したがって、「多くの特例を挙げている」のBとD、「特例を設けていない」のCは選択肢から外れるため、この問題の正答はAとなるわけです。 ちなみに、「準則」と「よりどころ」についてですが、昭和21年の内閣告示「現代かなづかい(p.48)」では「準則」となっていたものが、昭和61年の「現代仮名遣い(p.49)」では「よりどころ」となったのですが、これをどう解釈するかはわかれるところです。内容的には両者は大きく変わるものではありませんから、これを単なる改訂版ととるか、「準則」ではなく「よりどころ」になったのだという点をとりたてて評価するのか、意見の分かれるとことです。 恐らくテキストの著者は前者ととり、そのような書き方になってしまったのだと思われます。 |