NAFL15巻 よくある質問
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該当ページ | 質問 | 回答 |
p.17 | p.17「相対的性差」について「その特徴が、あるときは男性にあるときは女性にと、双方の使うことばに現れる性差のこと」という記述 「相対的性差」について、教えてください。P.18の表2では、日本語では、助詞や呼称、形容詞などで、日本語に相対的性差があることになっていますが、具体的な例を挙げて説明をお願いします。 |
まず相対的性差と絶対的性差の違いは、性別によって完全にすみわけができているかどうかの違いになります。絶対的性差は、例えば、話し手の人称代名詞の「撲」「俺」は男性を表し、親族名称では「おふくろ」は女性、「おやじ」は男性を表すなど、言葉によって生まれつきの性差が明確に示される言葉がそれに当たります。 しかし、「だぜ」「だわ」「よ」などの、終助詞については、人称代名詞ほど完全にすみわけができているわけではない(簡単にいうと個人差のようなものもあり曖昧である)ので、相対的性差と呼んでいます。 p.18の表2の「助詞」については、特に終助詞でその例が多く、例えば「これきれいだわ。」と言った場合、 完全に女性だけが言うかどうかというと、そうでもなく、イントネーションによっては男性が使うこともあるでしょう。 また、「呼称」の例としては、「~くん」があるかと思います。子どもの時は、女の子を「~ちゃん」、男の子を「~くん」と区別していることが多いかと思いますが、職場で、女性に「~くん」ということもあるかと思います。このように状況によって性差が異なる言葉が相対的性差に当たります。 また、日本語では男性の使う「ごはん」を「めし」と言うなどの名詞や「でかい」(大きい)「うまい」(おいしい)などの形容詞については、「自己装い表現」とこの表では述べておりますが、これらは、生まれつきの性差に人間としての知性や理性が加わり、文化的に男性か女性かという記号化された性差を意味しますので、「絶対的」ではなく相対的性差となります。 |
p.21-25 | 「場面のバラエティー」のなかで、「スタイル(の選択)」「レジスター」が出てきますが、スタイル、レジスター、日本語でいう「使い分け」、「位相語」の、それぞれの違いがイメージできませんでしたので、具体的な例を交えながら、ご教示ください。 できれば、日本語にはあって諸外国語にはないケースと、諸外国にはあって日本語には認められないケースがあると助かります。 |
・スタイルと使い分け 簡単に言いますと、「使い分け」は、場面に合わせて言語変種を選択すること、「スタイルの選択」は、話し手の意志でスタイルを選び、場面をコントロールすること、という違いになるかと思います。 日本語の例を挙げます。誰かに挨拶するとき、相手が友人であれば「おはよう。」、相手が目上の人やあまり親しくない人であれば、「おはようございます。」、となります。また、特に親しい友人ならば、「やあ。」で済ますかもしれません。ただ、相手がいくら親しい友人であっても公的な(例えば、仕事の相手として出会うような)場面では、「おはようございます。」というでしょう。このように、誰かにあいさつするときに、場面に応じてもっとも適切と思われる表現の形式を自然に使っていることを「使い分け」といいます。こういった表現の使い分けは、程度の差はあれ、欧米の言語でも見ることができますが、表現の形式の使い分けがどの程度重要であるかは、言語や文化によって差があります。一般に英語では、適切でない表現の形式を使ってもコミュニケーションに致命的な影響を与えることは少ないとされています。例えば、英語では「Hi!」とあいさつしても、「Good morning.」とあいさつしても、人間関係を損ねるといったことはありません。しかし、日本語では「やあ」と「おはようございます」の使い分けができなければ、良好な人間関係の維持において致命的です。日本での言語行動では、場面(相手や場所柄)に応じて適切な表現の形式を使い分けることが重要なのです。 次に、「スタイルの選択」についてですが、欧米においては、表現の形式の違いは「場面をコントロールするために使っている」という違いがあります。これを、表現の形式の「使い分け」に対して表現の形式の「選択」と呼びます。(「使い分け」は場面への適応という消極的な行為で、「選択」は場面のコントロールという積極的な行為です)。欧米では、形式ばった表現の形式は、直接意図された内容だけでなく「ここは形式ばった場である」というメッセージを相手に同時に伝えることによって、その場面を形式ばったものにしてゆく(場面をコントロールする)働きをするということです。例えば、英語では相手に静かにしてほしいとき様々な表現を使うことができますが、もし「 I should be grateful if you would make less noise.(できれば音を立てないでいただければ、うれしいのですが。)」などと非常にフォーマルな言い回しを使ったとすれば、その発言は「静かにしてほしい」という直接の話し手の意図だけでなく、「ここはこのように形式張った言い方をするのがふさわしいようなフォーマルで格式の高い場面なのだ」というメッセージを同時に相手に伝えているわけです(場面のコントロール)。 ・レジスターと位相語 まず、位相語とは人々が、男女・年齢・職業・階層などの社会的な属性を背景に使用していることばを指します。例として女性のことば 若者のことば、貴族のことばなどが挙げられます。位相語の定義の中に「社会的属性」という言葉が出てきましたが、これはそこから逃れられない特性といってもいいと思います。女性であること、若者であること、などは、場面によって変わるものではありません。つまり、人は、場面の違いとは関わりなく既に特定の社会的存在であり、それにふさわしいことば(位相語)を用いるというのが「位相」の考え方です。 一方、レジスターとはある特定の職業・社会集団の独特の口調、文法、声などを指します。例としてはスポーツ実況をするときのスポーツアナウンサーのことば、患者を診察する際の医者のことばなどが挙げられます。「レジスター」の捉え方では、「位相」の捉え方と違い、ひとりの人物が、職業として医師であり、趣味において演奏家であり、家のテレビでプロ野球を観戦しているときには野球評論家であることができるという考えを前提としています。つまり、人は、種々の社会的な場面(仕事をしている、趣味を楽しんでいる、家庭でくつろいでいるなど)に応じてさまざまな社会的存在であり、それぞれにふさわしいことば(レジスター)を用いるということです。例にあるスポーツアナウンサーのことば、医者のことばというのは、1人の人物が常にスポーツアナウンサーや医者が使う独特の言い回しをしているわけではなく、「スポーツ実況をしている」「患者を診察している」という場面において、そのような言い回しを使うということです。 |
p.31 | 「うねり音調」「ゆすり音調」とはどういうものですか。 | 福井方言の特徴として挙げられるのが「うねり(ゆすり)音調」です。これは、文末や文節末でイントネーションが波打つように上下するというもので、北陸地方の方言に見られます。 |
p.42 | 「表記のゆれ」について:実際に生徒に教える際、あるいは質問を受けた際、生徒の頭の中がすっきり整理できるようにするにはその使用法・使い分けについてどのように説明するのが適切でしょうか?(学習者のニーズやレディネスにもよるとは思いますが)。xxxも誤りではないとの説明では迷いが生じてしまうと思われるので、日本新聞協会「新聞用語例」に従っては、と説明するのは適切でしょうか?どうぞよろしくお願いいたします。 | 日本新聞協会の「新聞用語集」は、新聞・通信・放送各社が、情報の送り手・受け手が混乱が生じないよう統一基準を提案したものです。ですから、この基準はあくまでも「新聞・通信・放送各社」の基準です。その点を学習者に説明ましょう。そのため、新聞用語集とインターネットなどで遭遇する表記の異なりもあり得ます。例えば、新聞用語集では「探検」で記載されているのに、インターネットでは「探険」も使われているといった場合、どのような支援ができるでしょうか。 上級レベルの学習者であれば、学習者自身で調べてもらったり、一緒に使い方を考える時間を作るのも一つの方法です。 例えば、検索サイトで検索してみることが挙げられます。その際に、単なる検索ではなく完全一致検索をすることで正確な件数を調べることができます。完全一致検索の方法は、検索ワードを「””」(ダブルクォーテーション)で囲むだけです。一例として、「探検・探険」を検索してみます。 検索キーワード:”探検” / ヒット件数:約30,900,000件 検索キーワード:”探険” / ヒット件数:約1,550,000件 (Yahoo! JAPAN 2022年5月9日現在) この検索結果から、「探検」は「探険」よりも29,350,000件多く使用されているということがわかります。このようにヒット件数から、対象の語が使用される傾向を調べることができます。ただし、この方法の短所は、書き手がわからず不正確な日本語があったり、調べる時によってデータが変わることがある、という点です。そのため、ヒット件数はあくまでも一つの目安とし、その次の段階として、どのような文脈で使われているか内容を確認することも必要であると考えられます。学習者だけで判断するのが難しい場合には、教師が一緒に考えることもできるのではないでしょうか。 このように、実際の言語使用では(場合によっては)どちらを書いても誤りではないという白黒はっきりつかないこともあり、そのことを学習者に伝えることも必要です。 一方で、日本語の基礎が身についていない学習者には、テストの際には採点基準などを明確にしておくことも学習者の混乱を防ぐためには必要です。学習者のレベルやニーズ、レディネスによって、適切な方法やアドバイス内容を提示することも大切です。 |
p.58 | 「メタファー」とは何ですか。 | 例え言葉の一種で、隠喩のことです。例え言葉には、直喩、隠喩、換喩、擬人法、誇張法など、いろいろあります。 直喩は「白魚のような指」「動かざること山のごとし」のように、「ような」「あたかも」「まるで」「ごとし」「例えば」など例えであることを示す語を用いて例えることです。 それに対して、メタファー(隠喩)はそうした語を用いずに、ある事柄をそれとよく似た別の事柄を用いて直接ズバリと言って例えることです。例えば、「人生は芝居」や「時間はお金」などです。このように、原則的に、目に見える物理的・肉体的な物を基盤にして、目に見えない抽象的・思想的なものを概念化することをメタファーといいます。 このほか、認知言語学では換喩(メトニミー)がよく取り上げられます。メトニミーは、ある事柄をその物の近くにある別の物を用いて表現することです。例えば「昨晩、シェイクスピアを読んだ」の「シェイクスピア」は「シェイクスピアの作品」のことです。「シェイクスピア」と「シェイクスピアの作品」は近い関係なので、「シェイクスピア」だけでその作品が表現できるのです。 <参考文献> 吉村公宏(1995)『はじめての認知言語学』 研究社 |
p.83 | 言語と思考についての質問です。 p.83で、言語はその言語話者の思考方法を決定づけるという「サピア-ウォーフの仮説」(言語相対論)が紹介され、「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」とあります。 一方で、テキスト第21巻p.73には、使用言語によって、論文の論理構成が異なるという研究結果が紹介されています。 「言語」「思考」「論理」等の言葉を明確に定義しないと議論できない問題かと思いつつも、思考は論理的に組み立てられるものだという前提をおけば言語が、人間の思考を何らかの形で規定し、その結果、論理、およびその表現である論文が、言語によって異なる構成を持つ、ということが言えるように思います。 すなわち、「サピア-ウォーフの仮説 」は、一定の妥当性を持つと思われますが、いかがでしょうか? また、「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」のは、なぜなのでしょうか?人が言葉で考えるとしたら、言葉が人の考えを何らかの形で規定、制約するのではないでしょうか。参考文献も教えてください。 |
「サピア=ウォーフの仮説」は,p.83にも書いてありますように、明確に彼らが仮説を発表したのではなく、 彼らの仮説の共通点をまとめて後世の人が名付けたものです。ですから、サピア=ウォーフの仮説には、強い解釈と弱い解釈があります。強い解釈は「言語が思考を全面的に決定づける」という立場で、弱い解釈は「言語が思考に何らかの影響を与える」という立場です。 テキストにある「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」というのは、この強い立場に対する批判でありその理由は、p.84に書いてある通りです。しかし、弱い解釈については、ご質問にありますように「何らか」の影響があるだろう、と考える研究者も多く、認知学、心理学、社会学などの立場でそれぞれ研究が進んでおります。ただ、立場によって「言語」「社会」に対する解釈も異なりますので、それらを並べて同じ議論にはなりません。個々の立場を理解することが、「サピア=ウォーフの仮説」のより深い理解につながるでしょう。 参考文献は、p.103にあります『言語人類学を学ぶ人のために』宮岡伯人編がまずは参考になるかと思いますし、その後「言語人類学」の分野の書籍が関連領域になるでしょう。 |