NAFL21巻 よくある質問 | ||
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p.11 | 発達と言語習得/文化的アイデンティティー形成についての質問です。 9巻 p.42には、4)異文化の言葉を習得するのに3年から4年かかること、言葉と文化が密接な関係にあることなどの理由により、 対人関係における文化的な「文法」を体得するには、同一文化圏に約6年以上住み続ける必要がある。最も重要な時期は、9歳から15歳までの6年間と思われる。とありますが、一方で、同じページに、2)11歳から14歳までの間に異文化社会に移行した場合は、新しい環境の文化に不協和(合わない感じ)を感じる。自文化の中で獲得した対人関係の方法は、異文化の方法を取り入れても容易に解消できない。ともあります。 また、21巻 p.11「言語習得の臨界期の終わり頃、8歳から10歳くらいの時期に言語環境が大きく変わると2言語不十分になりやすい。」とあります。 ということは、「文化的文法を体得する適齢期は9歳から15歳ながら、9~10歳で環境を変えると、環境への不協和を引き起こす恐れがあり、11~14歳で環境を変えると、2言語不十分になるリスクがある」ということになり、結局、この時期は重要な時期であるにもかかわらず、環境変化のリスクが大きいということになりますが、そのような理解でよろしいでしょうか? また、このリスクを回避するためには、どのような方法があるのでしょうか?(詳細のご説明が難しいようであれば参考文献をご紹介いただくという形でも結構です。) |
年齢と言語の習得に関する研究は様々あり、ただ現状どれも十分な検証はできていません。その理由は、何をもって習得できたのかなど、そもそも言語習得を明確に定義することが非常に難しいからだと考えられます。 ですから、大まかに思春期は言語習得、文化習得をすることは難しい時期であると言えるでしょう。ただし、あくまでも傾向であり絶対ではありません。また、環境変化のリスクが大きいという点は、多くは学校に通う時期であるからという点も大きいでしょう。 学習言語能力CALPの習得には認知的な負荷がかかり習得に時間がかかると言われています。その点は6巻P.63以降にも述べられています。 ご質問に「また、このリスクを回避するためには、どのような方法があるのでしょうか」とありますが、リスクを回避するというよりも、9巻、21巻、6巻などで述べられているように、「非常に難しい時期である」ということを踏まえて個々のケースに取り組む、と考えたほうが良いかと思われます。 参考文献ですが、まずはNAFLの巻末に参考文献として挙げられている書籍を読むことをおすすめいたします。9巻p.41以降で述べられている文化的アイデンティティーに関しては、『子供の異文化体験』箕浦康子著の内容を引用しながら述べられています。また、21巻で述べられている内容は、バイリンガル教育に関する内容もありますので、『バイリンガル教育の方法 地球時代の日本人育成を目指して』中島和子著などが参考になるかもしれません。 |
p.13 | 「サブマージョン教育」をすることで「加算的バイリンガル」につながるのでしょうか。 | サブマージョン教育とは、例えば少数民族の子供達に対し、社会集団で用いられる主流言語のみで教育するタイプのプログラムを指します。もともとその子供達は、自分の家族が話している少数民族の言語をもっているわけですから、ご質問にあったように、形式としては加算的バイリンガル教育と言えるでしょう。 ただし、学校で圧倒的な量の第二言語に触れることにより、元々の言語を子供達が次第に失うことが多く、結果として「減算的バイリンガル」という状態になってしまうとの報告がしばしばなされています。そこで現在では、習得対象言語を1つにせず、3つにした「二重イマージョン・プログラム」も見られています。 |
p.72 | 「ロゴス」と「パトス」の意味を教えてください。 | まず、意味は、テキスト21巻p.72にあるように、ロゴスは「西洋の論理である言語に支えられた理性(reason)や原理に基づくもの」であり、パトスは「感情」となります。補足しますと、 後者は「情念」ともいえます。お手持ちの英語の辞典があれば、logos とpathosを引いてみてください。 テキストではメイナードを援用しているわけですが、p.73にまとめられた「ロゴスのレトリック」や「パトスのレトリック」の内容を読まれると、メイナードの意図した区別が分かります。 なお、ロゴスとパトスは一般的に西洋でよく使われる概念ですが、言語学の学問上では、言語学者のソシュールが用いた「ラングとパロール」の方が「抽象的言語体系」「具体的言語行為」として広く知られています。また、テキストでは言語学ではなく異文化コミュニケーションという学問領域で用いられる概念、エドワード・ホール(文化人類学者)の「低コンテキスト」をメイナードのロゴスのレトリック、そして「高コンテキスト」をパトスのレトリックと結び付けています。 |
p.73 | 言語と思考についての質問です。 15巻p.83に「サピア-ウォーフの仮説 」(言語相対論)~言語は、その言語話者の思考方法を決定づける~が紹介され、また、「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」という指摘もあります。 一方で、21巻p.73には、使用言語によって、論文の論理構成が異なるという研究結果も紹介されています。 「言語」「思考」「論理」等の言葉を明確に定義しないと議論できない問題かと思いつつも、思考は論理的に組み立てられるものだという前提をおけば言語が、人間の思考を何らかの形で規定し、その結果、論理、およびその表現である論文が、言語によって異なる構成を持つ、ということが言えるように思います。すなわち、「サピア-ウォーフの仮説 」は、一定の妥当性を持つと思われますが、いかがでしょうか? また、「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」のは、なぜなのでしょうか? 私は、ずっと、人が言葉で考えるとしたら、言葉が人の考えを何らかの形で規定、制約するのではないか、と考えておりましたので、この問題について考える参考文献含めてご教示いただければ幸いです。 |
「サピア=ウォーフの仮説」は,15巻p.83にも書いてありますように、明確に彼らが仮説を発表したのではなく、彼らの仮説の共通点をまとめて後世の人が名付けたものです。ですから、サピア=ウォーフの仮説には、強い解釈と弱い解釈があります。強い解釈は「言語が思考を全面的に決定づける」という立場で、弱い解釈は「言語が思考に何らかの影響を与える」という立場です。 テキストにある「現在では、言語決定論をそのまま信じる研究者はほとんどいない」というのは、この強い立場に対する批判でありその理由は、p.84に書いてある通りです。しかし、弱い解釈については、ご質問にありますように「何らか」の影響があるだろう、と考える研究者も多く、認知学、心理学、社会学などの立場でそれぞれ研究が進んでおります。ただ、立場によって「言語」「社会」に対する解釈も異なりますので、それらを並べて同じ議論にはなりません。個々の立場を理解することが、「サピア=ウォーフの仮説」のより深い理解につながるでしょう。 参考文献は、p.103にあります『言語人類学を学ぶ人のために』宮岡伯人編がまずは参考になるかと思いますし、その後「言語人類学」の分野の書籍が関連領域になるでしょう。 |