NAFL3巻 よくある質問
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該当ページ | 質問 | 回答 |
p.52 | 「電車が遅れたにしても、もう来るころだ。」の例文について、「もう来る」のは電車だと答えた学習者がかなりいるということでした。この文が、なぜ「電車が遅れたにしても、電車がもう来るころだ」という意味にはならないのか、自分自身でもよく分かりませんでした。 文脈から、もう来るころなのが電車ではなく「山本さん」だとは読み取れますが、条件を示す部分には「が」が使われるからという点が分かりませんでした。条件の文で「が」が使われるときは、主語が違うという事でしょうか。「~にしても」の使い方だという事でしょうか。 |
まず、ご質問の文の構造を押さえておきましょう。「電車が遅れたにしても、もう来るころだ。」という文は複文で、「電車が遅れたにしても」が従属節、「もう来るころだ」が主節です。また、「電車が遅れたにしても」という従属節は条件を示しています。 「条件を示す部分には「が」が使われるから」が、なぜ「電車がもう来るころだ」とならない理由になるかですが、文の構造から見て「電車」は従属節の主語ではありますが、主節の主語ではないからです。視覚的に従属節部分を括弧で括ってみると、以下のようになります。 [電車が遅れたにしても]、もう来るころだ。 つまり、「電車が」という主語は「遅れた」という従属節内の述語にかかっていて、「来る」という主節の述語にはかかっていないということです。ただ、主節の主語は「電車は」だけれども、省略されているのではないかと思われるかもしれませんね。この点に関しては、この文が使われた文脈を見てみる必要があります。ご質問の文は、実際には以下のような話の中で使われているものです。 「山本さん、遅いね。電車が遅れたにしても、もう来るころだよね。どうしたんだろう。」 「電車が遅れたにしても、もう来るころだ(よね)。」という文の主節が「電車がもう来る」という意味にならないもう一つの理由は、この文の主題が「山本さん」であるからです。なぜ「山本さんは」と主語を繰り返さないかといえば、それは「もう来る」の主語は言わなくても、前の文で示された主題と同じであることがわかるためです。このように「同じ話題では「は」は繰り返さない」というのがテキスト該当箇所のポイントになっています。 ご質問にも「文脈から、もう来るころなのが電車ではなく「山本さん」だとは読み取れますが」とあります。文脈から「山本さん」という主題は繰り返していない、ということを無意識に理解しているのですが、学習者には母語話者が無意識に理解している点が分からないため「もう来るのは電車」と英語など彼らの母語の構造から理解してしまうと考えられます。 |
p.61、182 | 〔8〕「~してしまった」が使われる場合は、という問いですが、私はD(会話で強調をのぞむとき)としました。正解はB(完了について何かの感情をもつこと)とのこと。p.61に以下の説明があります。 こう考えてくると、この場合「~てしまう」は、単に動作の完了だけでなく、完了に対する残念な気持ちが含まれていることが分かります。もちろん残念な気持ちだけでなく、驚きや感慨などを示す場合もあります。 (中略) ただ、「てしまう」には単純な完了と見える用法もあります。 (中略) この場合の「てしまう」は完了の意味を示すというより、完了を強調する、という方が適切でしょう。 さて、私の回答「D」が不適切だというのは理解しました。ただ、Bだけが正解とも読めません。文中に、ただ、「てしまう」は単純な完了(回答A)と見える用法もあります。という文面があります。AかBかで悩み、両方を含んだDと考えたのですが、すっきりしません。アドバイスをお願いします。 |
p.182 実力診断テスト[8]に関する質問です。まず、補助動詞「~てしまう」の基本的な用法から確認しましょう。テキストp.61の3-5行目に「単に動作の完了だけでなく、完了に対する……ことが分かります。もちろん残念な気持ちだけでなく、驚きや感慨などを示す場合もあります。」と述べられています。 この説明を踏まえ選択肢を確認してみましょう。まず選択肢A「動作が完全に終わったとき、と教える」については、以下の例文を比較してみてください。 例1 1時間で仕事が終わった。 例2 1時間で仕事が終わってしまった。 この例1のように、「~てしまう」を使わず「終わった」というだけでも完了の意味を表すことができます。しかし、例1と例2を比較してみると、「てしまった」を使用したときには、「2時間かかると思っていた仕事がたった1時間で終わった!」などという気持ちが表現されているのではないでしょうか。この例文からも「てしまう」の用法は「完了」のみではないことがわかります。 では「てしまう」には、どのような気持ちが表現されているか改めて考えてみましょう。「~てしまう」は 例3 スマホを落としてしまった。 例4 寝坊してしまった。 など、「残念」「失敗」の気持ちを表す表現が多いのですが、例2は「残念」というより、「驚き」や「たった1時間」という完了の強調など、別の感情を表しているのではないでしょうか。また、 例5 桜が散った。 例6 桜が散ってしまった。 の二つを比較してみると、例6の「てしまう」はある種の感慨を示しているのではないでしょうか。そのため、選択肢Cは説明として不十分です。 そして、選択肢Dの「強調」は何を強調するのか、「~てしまう」の基本的な用法である「感情を伴う動作の完了」について触れられていないため、説明として不十分であり不正解となります。 このような文法表現を考える場合、問題文の表現やテキストの説明文からのみ検討するのではなく、それ以外の例文やご自身で考えた例文などから実際の運用を踏まえて分析すると、より理解も深まるでしょう。 |
p.65 | 「日本は土地が狭いのに、人口が多い」は間違いですか。 | 「日本は土地が狭いのに、人口が多い」が非文になる理由として、テキストでは「後件は前件に関係のあることの逆接でなければならない」とあります。 具体的には、前件は「土地が狭い」こと、後件は「人口が少ない」ことであり、両者が「関係あること」という要件を満たしていないと解釈されるわけです。例えば、「日本は土地が狭いのに、有効利用されていない」であれば、文として成立します。これは、前件の「土地が狭い」と、後件の「(土地が)有効活用されていない」が、相互に関係あるものと解釈されるからです。 ただし、これが完全な非文であるとは言いにくい点があるのも確かです。単に日本の紹介として言う場合には意外・非難・失望などの感情が含まれないため、「のに」を使うと、どこか据わりの悪い文となりますが、話し手が日本に行って、土地が狭い割に人口が多かったことに非常に驚いたということを表現するならば、この文は適切な文と判断しても良いかと思われます。 このように両者の意見が見られるのは、前件と後件がどの程度関係があるかについての解釈が一律でなく、絶対的な基準があるわけではない、ということが関係していると思われます。 |
p.67、168 | 〈タスク5〉の1の解答について質問します。解答の中に、預かる:預ける と 受かる:受ける とありますが、Aが預かる:Aを預ける、また Bが受かる:Bを受ける、のAとBに入る言葉にはどのようなものがありますか。他の解答例は全て当てはまる言葉が浮かぶので、上の2つは他のものとは性質の違うものなのか気になっています。 | 〈タスク5〉は、対立する動詞を書き出すというものです。このタスクに対応するテキストの説明箇所はp.47-48のⅡ「「が」と「を」」です。テキストでは用語が使われていませんが、「Xが~」となる類は自動詞、「Xを~」となる類は他動詞で、「水が出る―水を出す」「火が消える―火を消す」などのように、p.47-48では全て自動詞・他動詞のペアをなす動詞が紹介されています。 〈タスク5〉で挙げられている解答例も、「預かる/預ける」「受かる/受ける」以外の例は全て自他動詞のペアをなすものですが、ご指摘のように「預かる/預ける」「受かる/受ける」のペアは他のペアとは性質の違うものです。この動詞ペアは語形パターン「-aru」「-eru」という形態的対応があるとはいえるものの、「Xが~(自動詞)」「Xを~(他動詞)」と対をなす自他動詞のペアという点においては性質が異なります。 なぜ他と性質が違うペアであるかを説明いたします。まず、「受かる/受ける」は、自他動詞として対応しているなら、「(学生が)試験を受ける」という文に対応する「試験が受かる」という言い方、または「(子供が)ボールを受ける」という文にも「ボールが受かる」という言い方があるはずですが、「~が受かる」という表現は少なくとも現代語においては成り立ちません。そのため、「受かる」は対応する他動詞のない自動詞であり、「受ける」は対応する自動詞のない他動詞ということになります。 一方、「預かる/預ける」というのは、動作の示す方向が異なる関係の動詞のペアになります。例えば、 例1)山田さんは銀行にお金を預ける。 例2)銀行が(山田さんの)お金を預かる。 という例文の状況をイメージしてみてください。「預ける」は山田さんから銀行の方にお金を差し出した動作を表しますが、「預かる」は山田さんから銀行の方にお金が向かってくる動作を表しています。 このように、例文から考えると、自他動詞の対立とは種類が異なることがおわかりになるかと思います。ただ、ご指摘の通り〈タスク5〉では語形の対立という観点から上記二つの動詞のペアが記載されていますが、「……が」「……を」と自他動詞のペアになっているものを書き出す、という点では種類の異なるものになっていますので、今後の改訂の参考にさせていただきたく思います。 |
p.83 | 「どうも」の後に打ち消しや不確定を示す表現が来るとありますが、「どうもありがとう」の場合はどうでしょうか。 | 「ありがとう」はもともと「ありがたい」であり、漢字で書くと「有り難い」となります。これは「有ることが難しい」という否定的な意味合いを含んでいます。すなわち「まれだ」という意味合いになります。「~がたい」は日常では「理解し難い」という表現が最もよく使われているのではないでしょうか。「理解できない」という意味の否定表現です。 テキストでは「どうも」は本来、否定か不確実を表す文に用いられる、という記述があります。現在では日本人でさえ「どうもありがとう」の「どうも」を「大変」と同様に肯定的な語と感じていますが、実際はそうではないのです。「どうもありがとう」の「どうも」は意味上、理にかなっているわけです。 「すみません」も「済まない」という否定表現です。よく「それじゃ私の気が済まない」などと言います。日本語では「ありがとう」の意味で「どうもすみません」と言うことがあります。どちらの表現も、相手の立場に立って相手に何らかの形で迷惑をかけたのではないか、という気持ちの表れから出てきたものです。謙虚さを表すには否定的表現が使われることが多いのが、日本語の特徴ともいえると思います。 |
p.127 | ディスカッションについてですが、必ず結論を出すものとなっていますが、答えのないテーマについてのディスカッションは行うべきではないということでしょうか。 | まず、現実のコミュニケーション活動におけるディスカッションとはどういうものかを再確認しましょう。現実のディスカッションでは、事前に議題が知らされ、それについての情報やそれに基づく自分の意見を準備します。そして、ディスカッションを行い、互いの持っている情報を共有した上で、何らかの「結論を出す」というのが一般的でしょう。(テキストの該当箇所はp.126-127です。適宜ご覧ください。) 次に、テキストp.127-128のディスカッションの実例のうち、「結論を出す」とは具体的に何を指すのか見てみましょう。この活動では、ある新聞に載っていた男女差別問題についての日本人の典型的な考え方を表す記事を取り上げ、外国人の視点からその意見に反論するような投稿をするという目的を設定しました。その上でディスカッションの時間では、以下のようなステップが踏まれています。 1.まず学習者それぞれに調べてきたことを発表させ、情報共有させる。 2.次に、題材の記事に反論するための論拠を整理するようにディスカッションさせる。 3.2で出た意見を全員の合意がえられるようにまとめて、投稿記事の形態に整えさせる。 以上から、この活動において「結論を出す」とは、ステップ3の「全員の合意がえられるように意見をまとめる(そして投稿記事の形態に整える)」ことであると考えられます。ここで注目したいのは、学習者にただ自由に意見を発話させるのではなく、「一つの目的に向かって話し合わせる(=結論を出す)」という点です。 このような観点からみると、ご質問でいただいた「答えのないテーマ」を扱うにしても、教師はそのテーマについて、どのような目的でディスカッションを行うのかを明確に学習者に提示する必要があると言えます。そこで注意したいことは、対象のテーマに対する「良し悪し」や「賛成反対」のようにどちらか一方の意見に集約するということではなく、「その活動の目的に合わせた形にまとめる」ということです。そうすることで、現実のコミュニケーション活動の実態により近いものとなり、fluencyの教育(詳しくはp.100-103に記載)が促されるでしょう。 |
p.152、156 | 「シミュレーション」と「プロジェクトワーク」の違いを教えてください。 | シミュレーションは、言ってみれば、人間の社会活動の一部を教室の中に仮想的に持ち込み、その中で学習者にそれぞれの人物、あるいは役割を割り当てて、その社会活動を教室で模擬的に行う学習活動のことをいいます。テキストでは、新聞社の編集部という仮想的な場を教室の中につくり、活動を行っています。 それ以外にも、例えば「離島の空港建設反対運動」のシミュレーションでは、学習者を離島の住民であると仮定して、「建設推進派」「建設反対派」に分かれて運動をそれぞれ進め、住民投票で勝つことを目指します。最初に島の状況を理解するために、地図により全般的な地理的状況を知り、さらにさまざまな言語的情報や、図や表により島の産業や人々の生活などを知り、島民の詳しいプロフィールのリストを学習者に配ります。それから、学習者は自分がどの島民になるのかを決め、シミュレーションを始めます。学習者はそれぞれの立場で住民集会で発言したり、他の住民を説得したりします。このようにして、クラスが空港建設問題に揺れる離島になるわけです。 これに対し、プロジェクトワークは、学習者が何らかのテーマを設定し、それを遂行するために相談をしたり、資料を読んだり、調査をしたりするなどして、話す、聞く、読む、書くなどさまざまなモードで日本語を大量に使うことにより、総合的な運用能力を伸ばそうとします。プロジェクトワークでは、テーマの設定から最後まで、一貫して学習者主導で活動が展開され、教師は必要に応じて助言を与えたり、情報や資料の入手を手伝ったり、必要な言語的な援助を与えたりする役をします。 しばしば使われるテーマには、「学級新聞を作る」「学校や町を紹介するビデオを作る」「日本人を対象に何らかのテーマでアンケートやインタビューを行い、報告書を作成する」などがあります。 <参考文献> 西口光一(1995)『日本語教授法を理解する本 歴史と理論編―解説と演習』バベルプレス |
p.181 | 実力診断テスト(3)についての質問です。正解は「A.発音全体の向上につながるから」とあります。それ自体は理解できますが、例えば、「橋」と「箸」、「飴」と「雨」が聞き取れるようにするためにアクセントということを教える、という考え方もあると思います。「D.聞き取りに必要だから」が不正解である理由はなんでしょうか。 | おっしゃるとおり、選択肢Dも、アクセントを知ることによってできる場合があることの一つです。確かに「箸」と「橋」はアクセントが異なりますから、アクセントによって意味が弁別できます。ただし、日本語のアクセントによる同音語の弁別力はそれほど高くなく、13%前後であるという調査結果があります。(参照 柴田武・柴田里程「アクセントは同音語をどの程度弁別しうるか」『計量国語学』17-7,1990年,他) また、辞書を開いていくつかの同音語を発音してみるとわかると思います。例えば、「こうしょう」にしても「交渉」「高尚」「口承」「校章」などの意味がありますが、いずれも同じアクセントです。ですから、アクセントの指導は、解説にあるように拍感覚や発音の向上に果たす役割が大きく、選択肢Aの発音全体の向上が最も大きな理由となります。もちろん、例に挙がった「箸」と「橋」だけではなく、テキストにある「花(が)」と「鼻(が)」や、動詞の「切る」と「着る」など、アクセントによって意味が弁別できるという情報は学習者にとって有益なものとなりますから、授業で適宜取り上げるとよいでしょう。 |
p.181 | 実力診断テスト(4)についての質問です。正解は「D.学習者の理解に配慮した話し方をすべきだ」とあります。一方で、解説を読むと、「過度に学習者を意識しすぎると、不自然な話し方を提示してしまう危険性があります。」とあります。これは、「学習者の理解に配慮した話し方」をしすぎてはいけない、ということであると理解できますが、だとすると、正解は、「A.常に自然の速さで話すべきだ」と「D.学習者の理解に配慮した話し方をすべきだ」の中間にあるように思いますが、いかがでしょうか。「常に」があるために、Aは不正解で、「常に」がなければ、A.もD.も正解という理解でよろしいでしょうか。 | このような質問文を読む時の勘所、という視点でお答えすると、「最も適当な選択肢を選ぶ」という点で選択肢を読み込むのが良いかと思います。質問は「教師が教室で話すときの」話し方を聞いています。ということは「教師が教室で話す時に最も適当な話し方はなにか」という視点で選択肢をもう一度見てみます。 A 常に自然の速さで話すべきだ C 常にゆっくり話すべきだ →こちらはご指摘の通り「常に」がある点が適当ではありません。例えば日本語学習を始めたばかりの学習者には、自然な速さで話してしまうと理解できない可能性もあります。しかし、「常に」ゆっくりと話してしまうのも、自然な会話を聞き取れなくなることにもなってしまいますので、バランスも必要です。 B 自分の平素の速さで話すべきだ。 →どんな母語話者でも平素の話し方、速さは異なります。教師は自分自身の話し方の特徴や癖を知ったうえで、学習者の理解に配慮して調整する必要があるでしょう。 ご質問に「A.常に自然の速さで話すべきだ」と「D.学習者の理解に配慮した話し方をすべきだ」の中間にあるように思いますが、いかがでしょうか、とありますが、実際にはその通りかと思います。常に学習者が100%理解できるようなゆっくりとした話し方にしていたり、理解の助けになるような語、例えば助詞などを強調したりする話し方をしていると、解説にあるように「不自然な日本語」を提示してしまうことになりますので、こちらも「常に」ではなく、理解と自然さのバランスが必要でしょう。 |
p.183 | 実力診断テスト3の問題[17]シナリオドラマ的な言語活動の問いについて、正解はAの「葬式でのあいさつ」となっています。理由は、自由な創造が少なく、決まり文句だけで済まされる、とのことです。ただ、Aには、パートを割り当ててドラマ仕立てで会話を進めるシーンが思い浮かびませんでした。Aが正解の理由をもう少し説明してください。私はB「喫茶店でケーキを……・」と回答しました。Bの方が、客と店員で会話が進むと考えたからです。 | 問題[17]のシナリオドラマ的言語活動については、テキストp.104-107で説明されています。〈タスク19〉(ア)の会話例がこれにあたり、解答にもあったように自由な創造が少なく、決まり文句だけで済ませられるのがこの教室活動の特徴です。 葬式の場面で「パートを割り当てて、ドラマ仕立てで会話を進めるシーンが思い浮かばなかった」とのことですが、p.106の2-4行目で示された「このたびはご愁傷様でした」「お忙しいところお出かけいただいて……」などのやりとりの例を見れば、葬式での会話シーンを思い浮かべることができるのではないでしょうか。例で示されたように、喪主と参列者のやりとりは非常に決まりきった挨拶になる傾向があり、シナリオドラマ的言語活動であるといえるわけです。 「喫茶店でケーキを注文する」という場面についても確かに「~を一つお願いします。」「はい、かしこまりました。」のように固定的なやりとりになることも想定できますが、「どのようなケーキがあるか」と客がたずねるところから会話が始まる場合にはケーキの説明を店のスタッフから受ける部分の展開は個々の場面に委ねられ、固定的なものであるとはいえません。「喫茶店でケーキを注文する」という場面については、p.106の18-27行目に説明がありますので、確認してみてください。 |
p.183 | 問19で「~してあげてもらえませんか?」という依頼の仕方はありませんか。 | 問19の解答をまずは確認しましょう。ロールプレイの状況は「外国人(学習者)が、同僚の日本人の奥さんに、自分の妻に日本語を教えてくれるように頼む」というものです。選択肢の「~してくれる」「~してあげる」「~していただく」「~してさしあげる」は授受表現ですが、授受表現を考える上で「~」に入る動詞(または動作性の名詞)の行為の恩恵、利益の方向が誰から誰に向かっているのかを考えることが大切です。 ここでは「日本語を教えること」による恩恵・利益は、「同僚(の奥さん)→学習者(の妻)」という方向であると考えられます。このような場合、恩恵を受け取る側(学習者)の人物の発話に現れるのは「~(て)くれる/くださる」「~(て)もらう/いただく」です。ですから、通常考えられる言語表現としては、「私の妻に、日本語を教えていただけませんか/教えていただけないでしょうか/教えていただきたいんですが……」「私の妻に、日本語を教えてくれませんか/教えてくださいませんか」などとなり、正解は1「~してくれる」、3「~していただく」になります。選択肢2、4はいずれも「あげる」という表現が使われていますが、恩恵を受ける人・物が自分または自分側に所属する場合には不適切ですから、学習者が「私の妻に日本語を教えてあげませんか。/教えてさしあげませんか。」などの表現は使うことができないということになります。 ご質問の「~してあげてもらえませんか?」という依頼表現は確かに存在します。例えば、AさんがBさんにCさんの手伝いを頼む場面があったとします。その際、「手伝ってもらえませんか。」と言えば、Aさんは自分のこととしてBさんにCさんの手伝いを依頼するニュアンスが出ます。一方、「手伝ってあげてもらえませんか。」と言えば、Cさんを中心に考え、依頼をしているニュアンスになるわけです。しかし、この課題では、自分の妻というのは家族であり、自分に近しいわけですから、「あげる」ではなく、「やる」を使い、「私の妻に日本語を教えてやってもらえませんか。」となります。そのため、「2 ~してあげる」は正答とは言えないことになります。 |